私たちの振る舞いは全て、わが心の“代理”

2013年7月26日(金)更新:9
【名字の言】
 暑中見舞いの便りを頂いた。涼を感じるデザインとともに、手書きの文字からこちらを気遣う相手の顔が浮かんできた▼「書は人なり」という。手書きの字には、書き手の人となりがにじむ。かつて東京国立博物館で行われた展示会で、日蓮大聖人の御真筆を見た。「立正安国論」は大聖人御自身が何度も書写された書だが、展示されていたのは48歳の時に写されたもの。丁寧な書体の中に、「言わずんばある可からず」(御書17ページ)という圧倒的なエネルギーを感じた▼佐渡流罪中にしたためられた「観心本尊抄」は「強烈な個性をしのばせる力感溢れる書風」(展示会の解説)。まさに、広宣流布への不撓不屈の御精神の結晶であった▼「声は人なり」でもある。同じ言葉でも、語る人によって、心にすっと入る場合もあれば、ほとんど入らない場合もある。もちろん、受け止める側の状況もあるだろうが、御書に「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)と仰せのように、声に託した「心の思い」が、相手の心に響くのだろう▼行動は「心に思う」ことから始まる。私たちの振る舞いは全て、わが心の“代理”ともいえる。文字に心を込め、声に思いを乗せて、友情を結び、広げる夏としたい。(川)
   (聖教新聞 2013-07-22)