わが友・寸鉄・未来を創るSOKA・御書活動者会・幸福に老いるために他

2013年8月5日(月)更新:1
【わが友に贈る】
 未来部の育成は
 広布の次代を開く
 最も尊い聖業なり。
 使命深き担当者の皆様
 いつも ありがとう!
   (聖教新聞 2013-07-30、以下同)


寸鉄
●SGI会長は世界の人権擁護の為に先頭に立って行動―識者(アルゼンチン)。後継の陣列は盤石
●伝統の「夏季フリー研修」が開始(スタート)。学会精神を学び深めよ。家族で成長の夏
●「青年は高い理想がなければならぬ」恩師。広宣流布へ! 迸(ほとばしる)る熱と力で挑め
●心の喜びは徳を行う事と良き生活から生まれる―文人(イギリス)。深き祈りから出発
●日中の大学生が討論会。「民間交流が一番重要」と若き力で友好の新時代を


【未来を創るSOKA〈5〉創価大学 “生まれ変わる”創大法学部の魅力】
《英語で学ぶ科目を開設 充実の留学・研修制度》
〈在学生と卒業生が語る〉
●最も印象的な授業は「公共政策ワークショップ」。国連の専門機関、各省庁、都道府県庁など公共政策の最前線で活躍する方々の講義は、現実の課題を知り、政策的思考力を高める上で貴重な経験です。
●昨年4月には、アメリカで開催された「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」に世界青年代表団として参加。ゴルバチョフソ連大統領ら歴代受賞者のパネルディスカッションを聞くことができました。海外の学生と有意義な語らいをすることもできました。

●「法学」を学ぶ中で、物事の正と負の両面を検討し、妥当な結論を導く力を育むことができます。「正義とは何か」「公平とは?」といった問いに対する、自分なりの答えを導く土台を形成できます。こうした思考力、問題解決力といった能力は、卒業後、非常に役立つものです。
●「偉大なる正義の使命の人生に、限りなき勝利あれ!栄光あれ!」(創立者
●どこまでも依頼者の立場に立って話を聞き、悩みに寄り添う弁護士として、社会貢献の道を歩み抜く決意です。

〈学部長に聞く〉
●司法試験(旧司法試験含む)合格者は、235人。外交官、公認会計士、国際機関の職員など多彩な人材を輩出してきました。
 公務員試験でも力を発揮し、この2年間だけで100人を超える合格者が誕生しました。
 民間企業でも、卒業生たちは揺るぎない信頼を勝ち得ています。教育関係者から高い評価をいただいています。
●“人間をつくる以外ない。世界を愛し、平和を愛するグローバルな人間ができるならば必ず人間と人間がつながってその砦ができあがる”(創立者
●建学の精神の一つに「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」とあるように、単に英語が話せるだけでなく、「平和構築」の確固たる目的観をもった、世界に通用する英才の育成が法学部の使命です。


【8月度 男子部「御書活動者会」研鑽のために 全てを成長の「追い風」に 四条金吾殿御返事(八風抄)】
 御文
  賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心(むね)は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひり(非理)に主(しゅ)をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし (御書1151ページ)

 通解
  賢人とは、八風(はっぷう)といって、八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)である。八風に侵されないということは、大体の趣旨を言えば、利益があっても喜ばず、損が生じても嘆かない等のことである。この八風に侵されない人を、諸天が必ず守護されるのである。
 それを道理にはずれて、主君を怨(うら)んだりすれば、どれほど加護を祈っても、諸天はその人を守護されることはないのである。

●「八風」とは、人々の心を動揺させて、人格の向上を妨げる八つの働きのこと。それは皆が望み求める「四順(しじゅん)」と、皆が嫌がり避ける「四違(しい)」(四逆)とに分かれる。
 「四順」とは、目先の利益や欲望が満たされる「利(うるお)い」、世間的な名声である「誉れ」、人々から直接的に褒められる「称(たた)え」、心身ともに悦楽(えつらく)を得る「楽しみ」である。
 また「四違」とは、物質的に喪失や損害を被る「衰え」、世間から悪く思われる「毀(やぶ)れ」、直接的に悪口を言われる「譏(そし)り」、心身にわたって苦しむ「苦しみ」のことである。
●生きていれば、楽しみや苦しみがあるのは当然である。いわば、八風のない生活はあり得ない。
 大事なことは、順風であっても、逆風であっても、それを自分自身の成長と勝利のための「追い風」「原動力」へと変えていけるかどうかである。
 では、どうすれば原動力にすることができるのか――。
 大聖人は「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(御書1143ページ)と仰せである。
 苦しくても、楽しくても、勇んで御本尊に向かっていく。
 その日々の祈りこそが、何ものにも揺るがぬ自分を創り上げる力となるのだ。
●「檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので、叶うわけがない」(同1151ページ、通解)と強調されている。
 広布の師匠に心を合わせて祈る。この一念が大切であることを忘れてはならない。
●一時は、不遇に思えるかもしれないが、これまで受けてきた恩恵を考えれば、主君を恨んだりすることは、道理にかなわない。だからこそ、どこまでも信心根本に、誠心誠意、主君に尽くしていくことを強調された。
●「目先の利害や毀誉褒貶に一喜一憂して、紛動される人生は儚い。人々のため、社会のため、広宣流布の大願に生き抜く人こそ、大賢人なのである」(名誉会長)


【幸齢社会 幸福に老いるために 作家 清川妙さん】
〈年齢に峠はない〉
●ある人は「90歳の峠を越えてから、足腰が弱くなった」と言いますが、私には年齢の節目に“峠を越えた”という感覚はありません。あるのは、昨日と今日と明日という「ひと続きの道」だけ。一日一日をどう過ごすかを考えています。
 もし、60代のありようがあるとすれば、それは50代のうちに用意されたものであろうし、50代のありようは40代のうちに……。人生は一日一日の積み重ねだと思います。
●外出や料理がおっくうになる“面倒くさい病”にかからないことです。
●主治医から「最高の介護者は自分自身です」と。以来、その言葉を格言に面倒なことも行うようになりました。

〈悲しみ乗り越え〉
●息子には、生まれつき耳の聞こえない障がいがありました。その試練をはねのけて大学に入り、特別支援学校の先生になり、結婚。努力を重ね、生きがいのある充実した人生を送れることを証明してくれました。
 手塩にかけてきた息子を失った時、私は「死」が予測不能で、誰も逃れられないものであることを悟りました。
●「この前、歩道に“寂しそうなおばあさん”がいると思ったら、お母さんだった。気を付けて。口角を上げ、背筋も伸ばして。でないと、そのまま“寂しいおばあさん”になるわよ。これは娘だから言えることで、他人は言ってくれないわ」
●人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。(徒然草

 人間は必ず死にます。この厳然たる事実に覚悟して命を見直せば、生かされている命を愛する思いが胸に迫ります。生きていることを日々、楽しまないでよいものか――という教えです。
 この言葉に、つかの間もおろそかにせず、大切に生きることを心掛けるようになりました。
 当然、死別の悲しみはありました。でも「頭は同時に二つのことを考えられない」といいます。そこで私は、仕事に没頭することで、早く乗り越えられたのです。

《“喜び上手”になろう》
〈一度きりの人生〉
●ものを書きたい思いが心にあふれていた私は、1週間で原稿用紙60枚を書き上げました。以来、今日まで一月たりとも原稿依頼が途絶えたことはありません。
 一度きりの人生。何かを始めるのに年は関係なく、「始めたい」という思いが大切です。人生はいつでも「今が始まり」で、楽しみながら少しずつ続けましょう。
 また、小さなことに喜びを見いだせる力も必要です。その力があると幸福感を得やすく、私はそういう人を「喜び上手」と名付けています。
 子や孫をはじめ人を褒めることは、褒められた人の心に“喜びの種”をまきます。そして、褒めた人の心にも喜びの余韻が残るもの。喜び上手への近道は、褒め上手にあるといえるでしょう。