地域紀行 岡山・蒜山高原 私たちには御本尊があるけぇ

2013年8月9日(金)更新:2
【地域紀行 岡山・蒜山高原 私たちには御本尊があるけぇ】
●長いトンネルを、いくつ通り抜けただろうか。
 どこまでも続く山並み。靄(もや)がかかって、おとぎの国へ行くように感じる。
 米子自動車道を車で走り、向かった先は、岡山県真庭(まにわ)市の蒜山(ひるぜん)高原。
 この辺りは、古事記に出てくる「高天原(たかまのはら)」があったという説がある。神々が住むといわれる場所である。
 どんな人たちが待っているのか――。期待に胸を膨らませ、アクセルを踏んだ。
     ◆◇◆
●同じトーテムポールが至る所に置かれている。
 その名は「スイトン」。
 どうやら、この地に伝わる妖怪らしい。“スイ”とやってきて、1本足で“トン”と立ち、その場にいる悪人を食べてしまうそうだ。
 「だからというわけではねえけど、蒜山の人は、みんなええ人ばかりだがや」
●2人の生活には、笑顔が絶えない。光之さんが「長生きせんとな」と語ると、艶子さんが「お前の嫁の顔を見るまでは死んでも死にきれん」と冗談を飛ばす。
●旧習深い地で御本尊だけは離さずに生きてきた。今、こうして笑えるのも「信心のおかげ」
●「おばあちゃんを見ていると、若い僕はもっと頑張らないと、と思うんです」
     ◆◇◆
《信心は清流のごとく》
●牧歌的な雰囲気に浸っていると、突然、町内のスピーカーから「節水のご協力をお願いします」と、アナウンスが流れてきた。
 7月15日、この一帯に記録的な雨量があった。水源の池に土砂が流れ込み、数百戸が断水。川の水があふれ、床下浸水した所も。
 取材したのは、その3日後のことだった。
 「蒜山は災害がないと思っとったんじゃけんども。本当にまいりました」
●「保守管理といっても、要は“何でも屋”です」
●客の「喜ぶ顔が見たいから」。誠実な仕事ぶりに、お得意さんも多い。
 「何より、学会の看板を背負っとるけぇ。手は抜けんもんじゃ」

〈ええ子やな!〉
●B級グルメの全国大会でグランプリに輝いた「ひるぜん焼きそば」や、良質な火山灰土壌から裁判されるダイコンなども有名だ。
●「『ええ子やな』と、わが子のように、しゃべりかけて育てています」
●「実の子どもたちは大きくなって他の地域へ行っておるし、今では、わが子とよりも、ようしゃべっとるかもしれん」と笑う。それほど牛に愛情を注いでいる。
 牛飼いには苦労も多い。近年、宮崎で深刻な打撃を与えた口蹄疫をはじめ、サルモネラ菌など、病気には神経を尖らせる。「牛があっての生活ですから」
●もちろん、衛星管理には細心の注意を払う。その上で欠かせないのは……「やっぱり牛の健康を祈ることです」。

〈広布の開拓魂〉
●「信心しんさい。幸せになるけぇ」と、片っ端から弘教に歩いた思い出を語ってくれた。
 水をかけられ、塩をまかれたことも。しかし10年、20年と語り続ける中で、聞く耳を持たなかった人たちも変わっていったという。
●「母は今でも、友人に『題目あげんさい』と電話越しに言うています」
●年を重ねても、広布の誓いは変わらない。そんな清流のごとき信心が、蒜山の開拓魂なのだと知った。
     ◆◇◆
●中から、ひょっこりと顔を出した婦人が悩みを打ち明ける。介護の苦労、将来への不安…。じっと聞き、明るく言葉を掛けた。
 「くよくよせんでええ。私たちには御本尊があるけぇ」
●苦しい過去があった分、人を励ませる。「それが財産」と自信満々に語る。
●「当時は、雨漏りする家だったけぇ。それが私の親孝行であり、わが家の宿命転換と決めたんです」
●宿命をも使命に変えた講元さんには、次なる目標ができた。それは「これまで支えてくれた同志への恩返し」。「蒜山高原は私がやるけぇ」と言い残し、次の友のもとへ勢いよく飛び出していった。

〈師からの伝言〉
●平成9年8月。
 蒜山高原の魅力を紹介するテレビ番組が、1週間にわたって全国放映された。それを見た池田名誉会長から、8月28日に真心の伝言が届いた。
 「蒜山でも頑張っている同志がいること、全部分かっているからね」
●「こんな小さなところにまで光を当ててくださった。夢のようで、ただただうれしくて」と振り返る。
 この8月28日は「蒜山の日」に。以来、友は毎年、この日を目指して対話に挑み、学会理解を大きく広げてきた。
 今再びの8月。2支部となった蒜山の同志は、師匠との原点を胸に、誉れの人材城を築こうと走っている。
   (聖教新聞 2013-08-02)