わが友に贈る・寸鉄・スタートライン 佐村河内守さん 他

2013年8月10日(土)更新:2
【わが友に贈る】
 川・海・山での
 事故に注意!
 「自分は大丈夫」との
 油断・過信を排し
 有意義な時を過ごそう。
   (聖教新聞 2013-08-03、以下同)


第三文明9月号完成】
●池田名誉会長の珠玉の指針を紹介する「未来を創る言葉――若き友へ贈る」を掲載。
 友情をテーマに、「よき友とともに生きる」「友誼を貫く人生」「友好の輪をひろげる」の項目ごとに、まとめられている。
 特別企画は「支え合う社会」。特集は「お金との付き合い方」。


寸鉄
●「創価の女性の姿は人生の希望を教えてくれる」博士(アメリカ)。平和世紀の太陽と
●論より証拠。生活の中で功徳の実証を―牧口先生 強盛な祈りで境涯開け
●新入会の友を皆で応援!新たな力こそ広布の原動力。共に動き共に大成長
すばる望遠鏡の視野が世界最大に。宇宙の謎解明へ―ロマン語る夏の夜を
●お盆の供養収奪に血眼の日顕宗坊主。出家の姿の食法餓鬼だ。叩き出せ!


【みんなの広場 天王山の夏!頑張れ受験生】
●“広布のために”と心を決めれば、力が湧くもの。だから受験生の皆さん、負けるな!
●どうか自分の可能性を信じ、挑戦し抜いてください。人は一瞬で変われるのですから。
●短大を卒業するまでの3年間、自分でも本当によく頑張ったと思います。短大時代の友人との親しい交流は今も続いており、私にとって“宝の3年間”となっています。
 猛暑の中で大変だと思いますが、勉強できること自体が最高に幸せなこと。どんな苦労も必ず“人生の宝”になります。皆さん、頑張ってください。
●ある時、“なぜ、こんなに何度も会いに来るのだろう。あの人たちを支えているものは何だろう”と好奇心が湧き、学生部の会合に参加するように。
 「大学は大学に行けなかった人のためにある」という池田先生の言葉を聞いたのは、ある日の会合でのこと。自分の姿勢を猛省し、希望を持って勉強に取り組み始めたのです。
●どうか、天王山の夏を勇敢に乗り越えてください。今の労苦は、きっと未来の笑顔につながります。
●プレゼントしてくれたしおりには、創立者のスピーチと、先輩の「待ってるよ!」というメッセージが。
 “私を待っていてくれる人がいる”――この気持ちが、どれほど強い支えになったことでしょう。感謝の思いは、創大に入学した今も薄れることなく、心の中に燃えています。
●皆さんの健闘と勝利を、私はもちろん、たくさんの人が待っています。そして、未来の夢も。頑張って!


【きょうの発心 報恩感謝を胸に全てに勝つ】
御文
  日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意(みこころ)は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)
通解
 この御本尊は日蓮の魂を墨に染めながして書き認めたものである。信じていきなさい。釈尊の本意は法華経である。日蓮の魂は南無妙法蓮華経以外のなにものでもない。
日蓮大聖人の御生命が認められた御本尊には、人々の「仏の生命」を涌現させる、大功力があると述べられた一節です。
●“大恩ある先生・奥様に報恩感謝の人生を”


【世界の体験プラザ エセックス大学人権研究センター理事長 イギリスSGI ミシェル・ラムさん】
〈学会活動を原動力に挑戦の人生〉
●「同志が、懸命に励ましてくれました。問題があるからこそ、変われる。“これでカルマ(業)を変えられる”との感謝の思いで、唱題を、と」
 それまで唱題は1日5分間だったが、言われる通り、もっと唱題に挑戦した。それは、以後の人生に重要な意味を持つ経験となる。
 「初めて歓喜を感じたのです。苦しみが消え、光を感じました。自分にはきっと、環境に左右されず、人生を変えられる力がある、皆が言っていたことは本当だ、と。その後、困難にあうたびに、この時の喜びを思い出しては、感謝の心で挑戦しました。問題に対する態度が一変したのです」
●「素晴らしい同志たちとの間で築いた友情は、信仰で得た最高の功徳です」
●「自分の人生を変えられる力が、自分にはある」
●「必ず師に応えよう」と祈る中で、勇気に変わった。
●「勉強と活動の両立は、大きな挑戦でした。でも、学会活動こそが、困難に立ち向かう力の源泉と、長い活動経験から知っていました」
●「多くの政府やメディアは、人権問題に積極的ではない。全ての宗教は、責任がありながら、その文化・伝統によって、人権を制限さえする。そうした中で、池田先生は、全ての人の人権を無条件に尊重されている。庶民を深く信頼されているからです。人権は、権力から庶民を守るためにあります。池田先生のような世界宗教のトップリーダーが人権問題における模範となられていることは、本当に素晴らしい!」
●「人権を勉強する人は、女性の方が多いですね。私の学生時代も、今、教えている学生たちも、そうですよ」
 はつらつと、「人権の世紀」「女性の世紀」の最前線に立つ。


【ターニングポイント 苦しい道が一番の近道】
●「苦しみながら勝つから本当の自信になり、自分の『勝利の方程式』になるのでは」
●「力で負けても、体が弱くても、心が強い人になりなさい」
●「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(御書1046ページ)
●「竹の節、割ろうとすると本当に大変だけど……それが後悔しない生き方の、一番の近道なんだと思います。苦しい思いは一瞬だけど、闘わなかった後悔は、ずっと残るから」
●「必死になれたから、周囲にも支えてもらえた。そういう意味では、『苦しい環境に救われた』と言ってもいいかもしれません」
 この10年、苦闘の連続。“ラッキーパンチ”など、一つもなかった。
 でも、と菅野は思う。
 やっぱり、苦労しながらも、地に足つけた生き方をする自分が好きだ――。


【スタートライン 全聾の作曲家 佐村河内守さん どんなに闇が深くても希望の調べが消えることはない】
交響曲第1番《HIROSHIMA》について聞くと、かみしめるように語ってくれた。
 「被災地の方が一番この曲を聴いてくださっていると知った時、涙が止まりませんでした。
 この作品は、ほとんどが恐怖や絶望といった『闇』で構成されています。ベートーベンの『運命』やマーラーの『復活』は、その闇を突き抜けて最後に勝利に至りますが、この曲で示したかったのは勝利ではなく『希望』です。闇はこの先も続くし、無くならないかもしれない。それでも『希望』は消えないのだという思いを表現したかったんです。
 私自身もいまだに何も乗り越えられていません。闇の中で、のたうちまわりながら生きています。だからこそ、闇の奥にある希望を見いだし表現したい。こうして生まれた曲が、苦しみを抱える人たちに少しでも希望を送れたら、これほどの喜びはありません」
●「絶対音感を使うことで、作曲自体はできたのです。頭の中で鳴り続けるノイズの向こうにある真実の音だけをつむぎ、楽譜に書き起こしていく。その作業は、大変な苦闘でしたが、何とか作品は完成しました。しかし、苦労して生み出した作品を、自分の耳で聴くことができないのです。
 耳が聞こえない私に、他の仕事はできません。皮肉なことですが、音を失ったことで、私には音楽しか無くなった。それなのに、完成した作品を聴くことができない。この絶望的な事実に、生きる意味すら分からなくなっていました」
●苦悩に沈む佐村河内さんの人生を大きく変えるきっかけとなったのは、“小さな出会い”だった。
 「目の見えない孤児が暮らす施設に行ったときのこと。当時7歳だった、しおりという少女に出会ったんです。偏屈で、なかなか人になつかないしおりが、不思議と私にはなついてくれた。“守さん、次いつ来るの?何月何日何曜日?”と。
 たった一人の少女ですが、私を必要としてくれている。その喜びは、私の心に“小さな光”をくれました。自分の作品を聴くことができないなら、必要としてくれるこの子たちのために作曲しよう。長く忘れていた“生きている”という実感を、しおりが思い出させてくれたんです」
 こうして佐村河内さんは、交響曲第1番をしおりさんに献呈。その他多くの楽曲を、子どもたちへの「献呈曲」という形で作曲していく。
 「広島に末期の小児ガンと闘っていた山口太一という子どもがいました。彼は私よりずっとつらいはずなのに、『僕のガンは必ず治るんだ。だから守さんの耳鳴りも絶対に治るから!』と励ましの言葉を送ってくれるんです。太一は私に光をくれました。だから私も曲を献呈して光を送り返したんです。太一が息を引き取る最期の瞬間まで、私の曲を聴いてくれたことは、作曲家としての誇りです」
 東日本大震災で被災した母娘に捧げた《ピアノのためのレクイエム イ短調》も、多くの感動を呼んだ。佐村河内さんは、闇を抱えた多くの人たちと“光の交換”をしながら、きょうも“真実の音”と向き合っている。
 「小さな光とは、日常のささいな喜びかもしれません。明るい光に満たされたような毎日では、なかなか気付かない。でも、闇が深ければ深いほど、小さな光は輝いて見えるんです。
 だから、若い人には、あえて“闇を背負いなさい”と伝えたいんです。人は誰でも闇を抱えています。病苦や経済苦、家庭の問題など、決して他人には分からない苦悩を抱えています。もし何も無ければ、戦争や震災という悲しい物語でもいい。疑似的でもかまわないから、悲しみをしっかり自分の中に取り込んで、それを背負うことから逃げないでほしい。
 そうした時に、何でもない日常が、どれほど幸福かが実感できると思う。その、今生きている事への感謝が、誰かの闇を照らす小さな光になるかもしれない。それが私の願いです」