教学 法華経への供養に無量の功徳

2013年8月14日(水)更新:8
【8月度座談会拝読御書 千日尼御前御返事(雷門鼓御書)に学ぶ】
拝読御文
 法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり、譬(たと)えば一(ひとつ)の師子に百子あり・彼の百子・諸(もろもろ)の禽獣(きんじゅう)に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす (御書全集1316ページ5行目〜7行目編年体御書1162ページ13行目〜15行目)

《本抄について》
 本抄は、弘安元年(1278年)閏10月、日蓮大聖人が佐渡の千日尼にあてて認められたお手紙です。
 阿仏房と千日尼の夫妻は、大聖人が佐渡流罪のさなか、わが身の危険もかえりみず、命懸けで給仕し、お守りしてきました。
 その後、大聖人が身延に入山されてからも、千日尼は高齢の阿仏房を何度も身延に送り出し、また真心の御供養をお届けしました。
 本抄では、千日尼からの供養の品々に深く感謝し、その信心をたたえられています。そして、夫の留守を守る労苦を思いやり、千日尼は大聖人のいる身延から遠く離れた地にいても、その心は身延にまで来ていると、温かく包み込まれています。

《信心根本に希望と勝利の前進を》
 法華経を供養する功徳は計り知れません。「十方」とは、東西南北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維、さらに上下の二方を合わせたものであり、空間の全て、つまり全宇宙を指します。また、十方の諸仏は「妙の一字」から生まれたと仰せになっています。それは、全ての仏は例外なく、法華経を師として成仏するからです。
 それゆえに、成仏の根本である法華経を供養することは、あらゆる仏を供養することに等しいのです。ゆえに、その功徳には限りがありません。
 「妙の一字」とは、南無妙法蓮華経の「妙」の字です。妙法は万法を具足した根源的にして円満な法であり、全てのものの本来の価値を開く力があります。ゆえに、妙法は行き詰まった境遇にある人をも蘇生させ、成仏させていく力があるのです。
 「譬えば一の師子に百子あり」からの仰せでは、この法華経供養の限りない功徳を譬えられています。
 ここでは、法華経(妙法)を、「一の師子(師子王)」に譬えられています。また、法華経を持ち供養する人を、「百子」つまり師子の子に譬えられています。
 いかなる禽獣(鳥やけもの)が襲いかかろうとも、師子王が吼えれば、百匹の子は勇気を奮い起こし、禽獣を打ち破ることができます。
 同じように、法華経を供養する人は「妙の一字」の無限の力を得て、地獄・餓鬼・畜生等の不幸の生命を打ち破っていけるのです。
 供養には、財物の供養だけでなく、広宣流布のためにわが身を使って行動することも含まれます。
 広宣流布のために戦った人が偉大な功徳を受けていくことは間違いありません。また、妙法を受持し弘める人に、どのような苦難が襲いかかったとしても、南無妙法蓮華経の題目を唱えに唱えていくならば、その広大な力により、一切の苦悩を克服していくことができるのです。
 「法華経は師子王の如し」と仰せの通り、妙法はあらゆる困難を打開し、厳然たる勝利の実証を示しゆく根源の力です。この大聖人の励ましを胸に、人生の苦難は必ず乗り越えられると決めて、どこまでも妙法とともに前進することこそ肝要です。
 今秋の総本部完成を広布拡大で荘厳しゆく大事な時。私たちは、信心根本、師弟根本に、希望と勝利の人生を開いていきましょう。


《名誉会長の指針から》
 本抄〈=千日尼御前御返事(雷門鼓御書)〉では、千日尼が御供養の品々をお届けしたことに感謝され、法華経を供養することは十方の仏菩薩を供養する功徳と同じであると述べられています。(中略)
 なぜ法華経が、「師子王」の経典であるか。
 御手紙の冒頭で大聖人は、「法華経は十方三世の諸仏の御師(おんし)なり」(御書1315ページ)と記されております。
 「十方(=全宇宙)」、そして「三世」(=過去・現在・未来)のあらゆる仏や菩薩は、すべて「妙の一字」によって成仏することができたとも御断言です。
 それほど偉大な、最極の妙法を持つ女性は、必ず「師子王」すなわち仏に等しい境涯となる。ゆえに地獄・餓鬼・畜生等の「百獣」など、断じて恐れることはない。すべてを悠然と見下ろし、厳然と打ち破っていけるのだ!――大聖人は、こう力強く千日尼を励ましておられるのです。(『御書と師弟』第2巻「女人成仏の宝冠」)
   ◇ ◆ ◇
 御文では「十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり」と仰せです。(中略)
 法華経二十八品にはさまざまな法理が説かれていますが、結局のところ、全ては、この「妙」を表現し、教え、伝えるためなのです。そして、この「妙」を体得した人が仏となるのです。ゆえに、法華経があらゆる仏の師なのです。
 大聖人が末法衆生のためにあらわされ、弘められた三大秘法の南無妙法蓮華経は、まさに万人に、この「妙」の力を会得させる大法なのです。
 大聖人は、「法華経題目抄」で、「開の義」「具足円満の義」「蘇生の義」の、いわゆる「妙の三義」を説かれています。(中略)
 私たちは南無妙法蓮華経の題目を自行化他にわたって唱えることで、この「妙の一字」の力を自身の胸中に具体的に現すことができます。なんと素晴らしい仏法でしょうか。この「妙の一字」を体得するために、自分自身の仏道修行があります。広宣流布の活動も、その一点にあります。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻「千日尼御前御返事」)


《拝読の参考 「法華経は師子王の如し」》
 師子は勇猛果敢で、威力があります。また、百獣を圧する威厳に満ちています。日蓮大聖人は御書の中で、「師子王」について何度も言及されています。
 例えば、今回の拝読御文では「法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす」と仰せになっています。また、法華経と諸経とを比較して、「師子王と狐兎(こと)とのすもうなり」(御書852ページ)と述べられています。
 諸経とは比べものにならない、法華経の功力の偉大さを、大聖人は「師子王」との表現に込められていると拝することができるでしょう。
 法華経には、二乗(声聞界・縁覚界の衆生)をはじめ、女人、悪人という、あらゆる衆生の成仏が説かれています。まさに、万人の成仏という仏の願いが結晶した最高の経典が法華経なのです。
 拝読御文の直後で大聖人は、「法華経という師子王を持つ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣を恐れることはありません」と仰せになり、法華経を持つ女性が、その功徳によって必ず幸福境涯を開いていけることを教えられています。万人の幸福と勝利を開く源泉が妙法であることを心に刻んでいきましょう。


《わが地域の輝き 妙法は人生を切り開く原動力》
 北海道滝川市に住む柴田さんは、乳がんの早期発見・治療ならびに乳がんによる死亡の撲滅を訴えるボランティア団体の代表として、社会貢献の汗を流されています。と同時に広布の庭にあっては支部婦人部長として、友の激励に、広布拡大にと奔走されています。
 柴田さんは学会員の両親のもと、幼くして入会しましたが、成長するにつれ信心に反発するようになりました。かつては、今が楽しければいいと、目標のない好き勝手な生き方をしていたそうです。しかし、一人になると、いつもむなしさを感じていました。
 そんな時、自宅に足繁く通ってくれる女子部の先輩との出会いがあり、先輩からの激励を受けて、広布の活動に積極的に参加するようになっていったのです。信心を人生の根本に据えることで、それまでのむなしさが消え、充実感や達成感を得られる毎日へと変わりました。
 とはいえ、これまで順風満帆だったわけではありません。家庭の不和や、子どもの病気、そして自身の乳がん……。しかし、何があっても負けることなく、広布の実践に励むなかで全てを乗り越え、自他共の幸福を願っての尊い人間革命の人生を歩んでこられたのです。
 妙法は、人生を切り開く偉大な力の源泉です。信心への確信を深めてきた柴田さんは、これまでを振り返り、「信心は、勇気と行動の原動力です。信仰のおかげで、日々を精いっぱい生きることができ、人生の充実を実感することができます」と言います。
 8月は北海道にとって、師弟原点の月です。8月10日が池田先生の北海道初訪問の日で、明年は、その60周年の佳節に当たります。
 先生は北海道の同志への限りない期待を、訪問のたびに寄せてくださいました。どこまでも友の幸福を願う師の心を胸に、本年の活動の総仕上げへ朗らかに前進してまいりましょう。
   (聖教新聞 2013-08-06)