人間をいかにとらえるかという、正しい人間観がなければならない

2013年11月10日(日)更新:3
・『永遠なる師弟の流れありてこそ、新しき創価の大潮流がつくられていく』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20181004


【新・人間革命 若芽 十五】
 山本伸一は、日本の小学校教育の現状を考えれば考えるほど、創価小学校を開校して模範の教育を行い、進むべき教育の道を示さねばならないと痛感してきた。
 創価女子中学・高校が開校した一九七三年(昭和四十八年)の五月、国際教育到達度評価学会(IEA)が主催した「国際理科テスト」の結果が発表されている。日本は、小学校(参加十六カ国)、中学校(同十八カ国)ともに、スウェーデンアメリカ、イギリスなどを凌ぎ、トップの成績であった。
 しかし、もろ手を挙げて誇れる状況では決してなかった。当時、「知育偏重」「詰め込み教育」などの指摘が繰り返されていたように、人間教育は忘れ去られていたからである。
 学歴偏重から、国立や有名私立大学の付属中学校、中高一貫の有名校への受験が過熱化し、進学塾通いや模擬テストに追われる小学生が少なくなかった。その学習は、ともすれば暗記中心の詰め込み主義となっていた。しかし、学校の授業だけでは志望校への合格は難しいことから、それが歓迎されていたのだ。
 さらに、学校教育でも、学習内容は次第に盛りだくさんになり、一方で、授業についていけない児童も増えていたのである。
 また、都市開発などによって、遊び場は失われ、皆で遊ぶ子どもたちの姿は、ほとんど見られなくなっていた。児童の体格はよくなっているにもかかわらず、体力・運動能力は停滞の傾向にあり、さらに、虫歯や喘息なども増加していたのだ。
 学齢期にあたる小学生は、学校生活や交友関係のなかで、社会への適応力を培っていくとともに、知的興味も増し、思考力も一段と発達する年代である。また、体力的にも基礎をつくる大切な時期といってよい。
 過熱化する受験競争のなかで、知育ばかりが重視され、徳育、体育はなおざりにされていたのだ。それによって教育は、大きな綻(ほころ)びを見せ始めていたのである。
 教育の根本には、人間をいかにとらえるかという、正しい人間観がなければならない。
   (聖教新聞 2013-11-06)