自ら掲げた信念を貫こう

2013年11月11日(月)更新:5
日蓮大聖人の励ましの世界 テーマ 自ら掲げた信念を貫こう】
●「火をおこすのに、作業を休んでしまえば、火は得られません」(御書1118ページ、通解)


◎門下への呼び掛け
●(火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいいます。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいいます。 (上野殿御返事、御書1544ページ、通解)
●最初から最後まで、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し通す人は如来の使いです。 (四条金吾殿御返事、同1182ページ、通解)


《地道な努力こそ人生勝利の要諦》
◎仏法の視点
・流れる水のようにたゆまぬ前進を
・大変な時こそ問われる奥底(おうてい)の一念
・やり続ける中で大きく境涯が開く

〈自分の意志で打開〉
●「今のこの時に法華経を信ずる人がいますが、そのなかには火の燃えるように信ずる人もあり、水の流れるように信ずる人もいます。(火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいいます。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいいます」 (御書1544ページ、通解)
●人生の途上には、さまざまな出来事が起こります。容易に解決できない問題や、なかなか出口の見えない課題にぶつかることも少なくありません。
 日蓮仏法は、こうした問題に直面した時に、自ら努力することを放棄して絶対的な神仏に一方的にすがったり、現実から目をそらして精神の安寧を願ったりするものではなく、強盛な信仰心を根本に生命力を湧きたたせ、自らの意志と努力で打開していく信仰です。したがって、自分自身の奥底の一念が重要となります。


四条金吾への指導〉
●「法華経を聞き受ける人は多い。しかし、本当に聞き受けた通りに大難が起きても、この法華経を常に憶(おも)い持(たも)って忘れない人はまれです。受けることはやさしいが、持つことは難しい。故に、成仏は持ち続けることにあるのです」(同、1136ページ、通解)
●「成仏は持つにあり」
●「最初から最後まで、生涯、妙法を捨てずに大難を受けても受持し通す人は如来の使いです」(同1182ページ、通解)
●いかなる困難にも屈することなく、法華経の信仰を貫く人が「如来の使い」なのです。


〈「真金」の人を賛嘆〉
●「今生こそ強盛に成仏を目指す心を起こして、絶対に退転しないと誓願したのです」 (同200ページ、通解)
●「日蓮はその身(第六天の魔王と戦う身)に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になります。その間、一度も退く心はありません」(同1224ページ、通解)
佐渡で大聖人に随順し、それゆえに難を受けた最連房には「あなたはまさに真金ではないでしょうか」(同1337ページ、通解)と述べられています。自分が掲げた信念を最後まで貫き通す人こそ「真金」の人なのです。


◎池田名誉会長の指針から
●「始(はじめ)より終りまで弥(いよいよ)信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬(たと)えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩(あゆみ)をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠(なが)め候べき」(御書1440ページ)
●せっかく信心をしたのに、人生の最終章で歩みを止めてしまっては、今世を総仕上げすることはできません。
 大聖人は仏道修行の灯(ひ)は消えやすいがゆえに、いよいよ信心を貫いていきなさいと仰せです。
 なぜ灯が消えやすいのか。名聞名利や三障四魔によって、自身の心が破れてしまうからです。「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同1190ページ)です。たゆむ心があると、無明が発動してしまうからです。
●「不退転の信心」とは、「戦い続ける心」の中にしかありません。
●「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願(がん)しぬ」(同200ページ)
●「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願(ねがい)やぶるべからず」
 (『生死一大事血脈抄講義』)


智慧の光 「不退転」
●「退転することなく仏道修行を重ねて、最後の、臨終の時を待ってご覧なさい」(御書1386ページ、通解)
●修行を途中でやめないという意味とともに、“仏道修行の過程で、「不退転の位(くらい)」、すなわち後に退くことのない境地を得る”という意味でも用いられています。
●「潮の干満に一定の法則があるとは、妙法を持つ人はたとえ身命を失うことがあっても、必ず不退転の位を得ることができることに譬えるのです」(同1447ページ、通解)
 “潮の満ち干が定まっているように、妙法を受持すれば必ず不退転の位を獲得して成仏できる”と、妙法の功徳の大きさを譬えを用いて説明しています。
   (聖教新聞 2013-11-10)