“いかにして、子どもに学習方法をしっかり身につけさせるか”

2013年11月12日(火)更新:1
・『“どうすれば生涯、幸福生活を送らせることができるか”』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20181013


【新・人間革命 若芽 十七】
 「詰め込み教育」を見直して、「ゆとり教育」をめざすべきであるという意見は、一九七三年(昭和四十八年)ごろには、次第に大きな声になりつつあった。
 山本伸一は、「ゆとり教育」を検討してみるのもよいが、より重要な問題は、“いかにして、子どもに学習方法をしっかり身につけさせるか”であると考えていた。
 児童が勉強への興味、関心をいだき、自ら学べる素地をつくらなければ、「ゆとり教育」は、結果的に、学力の低下をもたらすだけになりかねないからである。ゆえに彼は、初等教育の新しい道を開こうと、創価教育を実践する小学校の創立を決断したのだ。
 七四年(同四十九年)七月にスタートした東京の創価小学校設立準備委員会は、創価大学創価学園の理事や教職員、小学校に勤める教育部員などで構成された。
 その二カ月後の九月には、関西にも、創価女子中学・高校の教員を中心に、小学校の設立準備委員会が発足した。創価学園の東西で小学校設立への準備が開始されたのである。
 この年、伸一は、中国とソ連を初訪問している。中国の北京では、新華小学校を訪れ、授業を参観。上海では、小学生の課外活動センターである「少年宮」を訪問し、子どもたちの心温まる歓待を受けた。また、ソ連では、モスクワ六八二小・中学校、課外活動の場である「ピオネール宮殿」も訪れた。世界の初等教育の現場を視察して、子どもたちと交流を図り、さまざまな角度から小学校の在り方を考えてみたかったのである。
 そのなかで彼は、創価小学校は日本一国という視点ではなく、世界の平和に貢献できる、世界市民を育てる学校にしなければならないとの思いを、強くするのであった。
 フィリピン独立の父ホセ・リサールは、自著の小説のなかで、登場人物に、未来には「人間はすべて世界市民になる」(注)と語らせている。伸一は、世界の良心ともいうべき人びとの理想を、実現するための創価教育であると、確信していたのである。
■引用文献
 注 ホセ・リサール著『反逆・暴力・革命―エル・フィリブステリスモ―』岩崎玄訳、井村文化事業社
   (聖教新聞 2013-11-08)