私の奥さんをお母さんと思えばいい。私をお父さんと思って。

2013年12月17日(火)更新:1
・『最も苦しんでいる子どもの力にならずして、教育の道はない』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190304


【新・人間革命 若芽 四十五】
 一九八五年(昭和六十年)七月十六日朝、林田新華と弘高の姉弟は、創価小学校に登校する前、母親の千栄子が入院する病院を訪れた。母は、優しい笑みを浮かべて、子どもの手を握り、学校へ送り出した。
 その午後、母親は、笑っているような顔で、安らかに息を引き取ったのだ。
 山本伸一は、訃報を聞きながら、幼い二人を残して他界した母親に安心してもらうためにも、生涯、子どもたちを見守り続けていこうと思った。そして、翌十七日、彼は、栄光祭の折に、登校していた子どもの新華と弘高に会ったのである。
 「お母さんは、ずっと生きているよ。心の中に生きているから、大丈夫だよ。私の奥さんをお母さんと思えばいい。私をお父さんと思って。二人のお父さんがいるんだ。何も、心配はいらないよ」
 その言葉に、新華と弘高は目を潤ませた。
 伸一は、二人を抱き寄せた。
 「泣いちゃいけない! 師子の子だから。負けちゃいけない。強くなければいけない。勇気が大事だよ」
 二人は、泣くまいとするが、その目から、ぽろぽろと涙があふれた。
 伸一は、母親が入院中であった、この年の三月に行われた卒業式記念会食会にも新華を呼び、隣の席に座らせ、こう励ましている。
 「お母さんが入院していて大変だろうが、頑張るんだよ。勇気をもって、負けない子になるんだよ」
 また、母の千栄子の葬儀には、伸一に代わって妻の峯子が参列し、新華に励ましの言葉を贈った。
 「お母さんのように立派な人になってね」
 真心の声が、勇気を呼び覚ます。
 林田新華・弘高の姉弟は、“師子のように強く、勇気をもって生きよう”と、深く心に誓ったのである。
 後に姉の新華は、母親と同じ道を歩もうと看護師となり、また、弟の弘高は、聖教新聞社の記者となる。
   (聖教新聞 2013-12-13)