安心の社会、幸福社会の建設へ、主体者の自覚で取り組もう

2013年12月19日(木)更新:3
【名字の言】
 レストランで出された料理の食材が、実はメニューの表示と異なっていた。そんな事例が、各地で発覚した。近年、製造時期や生産地などをめぐる「食」の不祥事が後を絶たない▼“食品偽装”は、古代にもあったようだ。日蓮大聖人は、御書に「酒を売るのに水を加える者は、餓鬼道の報いを受ける」との経文の一節を引用されている(429ページ、通解)▼私たち消費者が、食材や料理について、全ての情報を確認することは不可能だ。示された情報を信じるしかない。同じように、配線や構造を確認してからテレビを買ったり、落丁・乱丁を細かく確認してから本を購入したりもしないだろう。人間社会の根幹には「信」が横たわっている。自己の利益のために他者を欺く行為は、自身のよって立つ社会の基盤を壊すことになる▼古代であれ、現代の市場主義社会であれ、健全に、豊かに生活を満喫するためには、人々の信頼の絆が強く結ばれているという条件が必要ということだろう。ふだんはあまり意識しないが、世間を揺るがす事件や天災は、この「信頼の絆」の大切さを思い起こさせる▼学会は明年の活動で、一段と「地域貢献」に力を注いでいく。安心の社会、幸福社会の建設へ、主体者の自覚で取り組もう。(弘)
   (聖教新聞 2013-12-19)