この試練を勝ち越えるために、これまでの信心の鍛錬があったのだ

2013年12月20日(金)更新:2
【名字の言】
 作家の向田邦子さんの作品を読んでいると、時折、“食べてきた、お雑煮の数が違います”といった言い回しに出くわす。年長者が若い人に対して、「だてに年を取っているわけじゃないよ」と、小気味よい切り返しで使っている▼雑煮を食べる新年を迎えた回数は、すなわち、越した年の数。年の功は、波瀾万丈を乗り越えた一年一年を積み重ねてこそ、熟成される▼福島の多宝会の壮年は、原発事故の後、温暖な浜通り地域から、寒冷な会津地域へ避難し、今も暮らす。当地での初めての冬、あまりの豪雪に閉口した。だが、しんしんと唱題を重ねる中で確信した。“この試練を勝ち越えるために、これまでの信心の鍛錬があったのだ”と。反転攻勢に打って出た。使命の天地が広くなった分、張り切って友の激励に走ろう、とマイカーも新車に替えた▼信心の大先輩の不屈の姿が“発火点”となり、同じく避難してきた同志の心にも、勇気の火が付いた。これから本格的な雪となるこの冬も、皆で団結して広布に走っているという。「負けじ魂を燃やすと、年々、元気になっていくようです」と、その多宝会の友は語った▼「心の財」は磨けば磨くほどに輝きを増す。自分らしく完全燃焼して、年を越えたい。(代)
   (聖教新聞 2013-12-20)