温かく、丁寧に友と語り合えば、心は伸びやかになる

2014年1月7日(火)更新:2
【名字の言】
 家族・親族の集まり、旧友との再会の席などが続き、そろそろ、あっさりした食が恋しくなるころ。年齢を重ねるにつれ、1月7日の朝に食べる「七草粥」の慣習にも、なるほど意味があると思えてくる▼お粥は見た目が簡素で、ごちそうとはいえないかもしれない。しかし、食べる人の体調を考える心配りと、ひと手間が効いた味わい深い料理だ。中国では、約6000年前から食されるという(あまつかじゅんこ著『あったかおかゆ』日東書院)▼穀物を軟らかく煮たお粥の類いは、世界各地で見られる。仏典にも、何年も続けた極端な苦行が無益だと知った釈尊が、スジャーターという乙女から乳粥を与えられ、気力と体力を回復。新しい悟りの道へ歩み始めた、と記されている▼お粥の優しさは、「かんで含める」という言葉を連想させる。親が食べ物をかんで軟らかくし、子の口に含ませるように、丁寧に言い聞かせるという意味である。私たち学会の世界でいえば、壮年や青年を慈愛の笑顔で包み、温かい言葉を絶やさない婦人部の存在と重なる▼掛け声や叱咤だけが先行すれば、逆に人の心は硬く、重くなる。温かく、丁寧に友と語り合えば、心は伸びやかになる。常に「励ましの滋養」を忘れまい。(申)
   (聖教新聞 2014-01-07)