先師、恩師の精神とは、広宣流布に一身を捧げ抜く決意

2014年1月9日(木)更新:4
・『生と死を解明し、生命変革の方途を明かし、真実の人間道を示す仏法』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190531


【新・人間革命 正義 六】
 山本伸一が、「広布第二章」の世界広宣流布にあたって、最も力を注いできたのは、教学の深化と展開であった。
 日蓮大聖人が示された永遠不変の妙法の法理を探究し、御本仏の大精神に立ち返り、それを万人にわかりやすく開き示し、世界へ、未来へと伝えていくことこそ、最重要の課題であると、彼は感じていたのだ。
 そして、学会として協議を重ね、一九七七年(昭和五十二年)を「教学の年」とした。伸一は、自ら「諸法実相抄」など、重書の講義を開始し、世界に開く新しい教学運動を推進していった。
 この年の一月十五日に行われた第九回教学部大会でも、仏教史観について記念講演をした。そこでは、仏法は本来、「人間のための宗教」であることや、民衆のなかで広宣流布に戦うことが真の法師(ほっし)であること、寺院の本来の意義等について論じていった。
 さらに、翌七八年(同五十三年)も、「教学の年」第二年とし、学会の仏法研鑽の大潮流が広がっていったのである。
 また伸一は、「広布第二章」を迎えた時から、世界広宣流布の道を開くために、全会員が先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の精神を継承していかなければならないと強く感じていた。先師、恩師の精神とは、全人類の幸福と平和を実現するために、広宣流布に一身を捧げ抜く決意である。日蓮大聖人の正法正義を貫く、慈悲と勇気の信心である。
 大聖人の仏法は、万人が本来、妙法蓮華経の当体であり、「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であると説いている。いわば、「生命の尊厳」と「人間の平等」の哲理である。学会は、創価教育学会の時代から、その教えを掲げ、弘教を推進してきたのである。
 それは、「現人神(あらひとがみ)」といった国家神道の考えを、根本から否定するものにほかならなかった。つまり、国家神道を精神の支柱にして思想統一を図り、戦争を遂行する軍部政府と学会は、原理的に対決を余儀なくされていたのだ。そこに、牧口、戸田の戦いがあった。
   (聖教新聞 2014-01-09)