なすべき時に、なすべき事をしなければ、残るのは後悔である

2014年1月24日(金)更新:2
・『御遺命実現の為広布の広野を自在に疾駆できる様にしなくてはならない』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20190802


【新・人間革命 正義 十九】
 創価学会は、宗教法人設立の準備に着手し、宗教法人法に基づき、一九五一年(昭和二十六年)十一月一日付「聖教新聞」に設立公告を掲載した。十二月半ば、宗門は、戸田城聖に総本山の宗務院へ来るように伝えてきた。
 戸田は、著しく体調を崩していたが、総本山へ出向き、なぜ宗教法人にする必要があるのかを説明した。
 それに対して、後の日達法主である細井精道庶務部長は、「学会が宗教法人となることは、法的な問題であり、なんら指示するような意思はありません」と答えた。
 そのうえで宗務院としての要望を語った。
 「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」「当山の教義を守ること」「三宝(仏・法・僧)を守ること」
 戸田は、宗門の意向を尊重しながら、宗教法人設立に全力を注いだ。
 戦いには時がある。人生の時間にも限りがある。なすべき時に、なすべき事をしなければ、残るのは後悔である。
 学会の宗教法人設立は、規則案の再検討もあり、時間を要した。そして、翌五二年(同二十七年)六月二十日付「聖教新聞」に、再び設立公告を掲載した。
 その六日後の六月二十六日から、宗門は四日間にわたって臨時宗会を開いた。
 この宗会では、宗制・宗規の変更も審議され、「檀徒及び信徒は本宗が包括する宗教法人以外の宗教法人に加入する事が出来ない」との条文が加えられようとしたのだ。
 宗教法人設立は、広宣流布の大きな流れを開き、日蓮大聖人の御遺命を実現していくためのものである。しかし、宗会は、それを阻もうとしたのだ。
 学会は、この条文が、不当な圧力の武器に変化する危険性を感じ、直ちに抗議し、取り消しを求めた。
 広布実現を願い、宗門の外護を考えての一歩一歩の歩みが、烈風との戦いであった。創価学会が宗教法人として発足にいたる道もまた、怒濤が騒ぐ険路であったのである。
   (聖教新聞 2014-01-24)