僧俗一致して前進せむとする訴えを、何故、踏みにじり攻撃をなすのか

2014年2月8日(土)更新:2
・『“私が盾となる。矢面に立つ。何があろうが、会員は私が守り抜く!』
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【新・人間革命 正義 三十二】
 静寂な夜であった。
 山本伸一は、一九八一年(昭和五十六年)に執り行われる、日蓮大聖人の第七百遠忌(おんき)法要を思った。彼は、その慶讃(けいさん)委員長であり、この式典を、僧俗一丸となって荘厳し、広宣流布への大前進を期す佳節にしようと、固く決意していた。それだけに、悪侶による僧俗和合の攪乱と広宣流布の破壊が、残念で残念でならなかった。魔軍を喜ばせるだけだからだ。
 彼は、ホテルの机に向かった。
 後世のために、この出来事の真実とわが思いを、書きとどめておきたかった。
 ペンを手にすると、苦しみ抜いてきた同志の顔が浮かんでは消えた。
 「宗門問題起こる。心針に刺されたる如く辛く痛し」――こう書くと、熱湯のごとき憤怒と激情が、彼の胸にほとばしった。
 「広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか」
 そして、「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子(ぶっし)」に、なぜ、このような迫害が繰り返されるのか、到底、理解しがたいとの真情を綴った。
 「尊くして 愛する 佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり」
 彼は、さらに、福井、兵庫、千葉などで、健気なる同志を迫害する悪侶が現れた無念を書き記し、第七百遠忌法要の成功を、「血涙をもって祈り奉りしもの也」と認めた。
 ホテルの窓から外を見た。漆黒の空に、星々が美しく瞬いていた。
 “これで、ひとたびは、事態は沈静化へ向かうであろう。しかし、広宣流布の道は、魔との永遠の闘争である。
 ゆえに魔は、これからも、さまざまな姿を現じて、大法弘通に生きるわれらに襲いかかるであろう……”
 彼は、安堵の情に酔うわけにはいかなかった。事実、既に、この時、学会と宗門を分断する謀略の次の矢が放たれていたのである。

   (聖教新聞 2014-02-08)