新生東北 2011.3.11〜 いまを刻む、明日を創る 他

2014年2月11日(火)更新:3
池田大作SGI会長の海外出版 45言語1500点に】
《きょう戸田第2代会長生誕の日――恩師と築いた大偉業
 池田大作SGI会長 海外出版 45言語1500点に》
アメリカ 対談集「母への讃歌」英語版
 インド 創作童話のマラティ語・マラヤラム語版》

●きょう2月11日は、戸田第2代会長の生誕114周年にあたる。このほど、アメリカで池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長とエマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士との対談集の英語版が発刊。インドでもSGI会長の創作物語のマラティ語版とマラヤラム語版が大きな反響を呼んでいる。恩師の佳節を寿ぐように、世界で出版されたSGI会長の対談集や小説、大学講演集などの外国語書籍は、45言語、1500点を超えた。
   (聖教新聞 2014-02-11、以下同)


【新潟・中越地震から10年 復興青年主張大会】
●青年部の平和運動「SOKAグローバルアクション」の一環。石巻、神戸、いわきに続き、今回は、中越地震(2004年)から10年となる新潟での開催となった。
 大会では、主催者の木下総新潟青年部長の後、2人の青年メンバーが登壇した。
 福島・大熊町出身の志賀智美さんは東日本大震災後、新潟に転居。慣れない生活とともに、将来への不安が拭えず、いつしか無気力状態に。そんな中、友人から学会の話を聞いた。「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)の一節に感銘。11年7月、入会を果たした。「震災でモノは全て失いました。学会の中で“心の財”を積んでいきたい」と希望を語った。
 木村正和さんは東日本大震災の翌日、支援物資を運ぶトラックの運転手として、新潟池田文化会館を出発。約6時間後、東北文化会館に到着した。「被災しながらも、懸命に救援活動に走る東北の同志の姿に、胸が熱くなりました」と当時の様子を伝えた。
 続いて、山根東北青年部長が、東北創価学会の復興への取り組みを紹介。西野女子部書記長、橋元青年部長があいさつした。


【新生東北 2011.3.11〜 いまを刻む パパの腕時計に耳を傾けてごらん 第21回 岩手県宮古市 坂本淳子さん】
《母が綴った願い 「前略 未来の君へ」》
●パパに会いたい。その思いは今もあるの。でもね、池田先生の言葉に救われたんだ。
 「亡くなった家族は、わが心の中にいつも一緒にいる。瞬時も離れることなく、生命は一体である」
 瞬時も離れず――ママね、決めたの。パパと君を題目で包んでいこうって。勤行の時、ママの隣にちょこんと座る君の祈りも、きっとパパに届いているよ。

 君の優しさには何度も励まされました。
 余震の夜。ママが君を抱き締めた時、口を引き締めて抱きついてきたよね。やっぱり怖かったのかな。そう思ったけど違ったね。
 「ママ。ぼくがいるから、だいじょうぶだよ」
 そんな言葉を掛けた君のほほ笑み。ママを守ろうとして、小さな両手に力を入れてくれたんだね。
 ありがとう。
 家にクモが出て、ママが悲鳴を上げた時、「ぼくがたいじしてあげる」と捕まえてくれました。その横顔に、パパの強さと優しさを見た気がしたの。愛斗の心にパパは生きている。そう思うと、心が温かくなりました。
 本当にありがとう。

 未来の君は――どんな青年になっているのでしょうか。2030年。学会創立100周年のその時に、君は20歳になるのですね。
 「ぼくはパパのような、しょうぼうしになる」と言ってたけど、夢をかなえられたのかな。困っている人を助け、人の役に立つ青年になっているでしょうか。男親がいないことで、お母さんには力になれないことがあるかもしれません。そんな時は、お題目をあげるの。必ずお父さんとつながれるから。
 それでも、信心を試すような試練が、次から次へと押し寄せてくるでしょう。
 その時、君に捧げたいと思います。お父さんが旅立ちの日につけていた、防水の腕時計を。あの津波にも壊れず、今も時を刻み続けています。時計の針に耳を澄ませてごらん。「愛斗(まなと)。負けるなよ」。優しい声が、きっと聞こえてくるはずです。お父さんの生きるはずだった未来を、君に引き継いでもらえれば――。それが切なる願いです。
 君には父親の記憶がありません。だけど、君はしっかりと親孝行をしてくれました。それは、君が私たちを選んで生まれてくれたということ。震災の2日前。君が乗ったベビーカーを押すパパの顔は、幸せそのものでした。「パパー。ぼくはここだよ」と、月に向かって小さい手を振る君の姿を、お父さんはずっと見守っていることでしょう。

 家族3人で過ごした時間は4カ月という、あまりにも短い月日でした。家も建てたばかりだし、旅行にも行けませんでした。
 だけどね、お父さんは命が燃え尽きる瞬間まで、使命に生きた人でした。自分のことよりも、人を大切にする人でした。だから君も強く優しい青年でいてください。
 時には、くじけてもいい。しっぽを巻いて逃げ出してもいい。
 でも忘れないでね。どんな時も、お母さんは、あなたの味方だということを――。
         かしこ
 未来の君へ
         母より


【新生東北 2011.3.11〜未来へ 明日を創る ケアの社会へ――顔の見えるコミュニティー 内出幸美 社会福祉法人典人会専務理事】
災害派遣介護の制度化を》
●被災地の現場は、目の前のことで精いっぱい。だから、被災していないところからの「組織的支援」というのは、本当にありがたかったし、必要性を実感しました。ぜひ、制度化を呼び掛けていきたい。

〈自主防との協働〉
●私どもの地元は、津波常襲の三陸沿岸地域なので、かねてより自主防災組織(自主防)の組織率が高く、訓練もしていました。一人一人の意識も高い。発災直後から、自主防の働きは目覚ましかった。
●だれかが指示したのではないのです。みんな自分で考えて、体が動いたのです。4日目に自衛隊が来ましたが、それまでは利用者、職員、住民で助け合い、生き延びたのです。
 この経験から、将来のDCAT(Disaster Care Assistance Team=災害派遣介護チーム)の運営に際しては、自主防災組織との協働が必須であることを学びました。協働により、地域の実情に合わせた支援が可能になるでしょう。

《共に地域で生きることの大切さ》
〈家族のように〉
●震災翌日のことです。お年寄りたちが、かまどでご飯を炊いて、みんなに食べさせてあげたのです。ご飯をもらった子どもたちの笑顔が、さらにお年寄りの生きる糧になりました。地域の人たちがお年寄りに声を掛け、手を差し伸べるようになりました。一つ屋根の下で、百数十人が家族のように暮らせたのです。
●これからは、百数十人の、いわば、地域の公民館単位、一人一人の顔が見え、名前が分かる範囲での、コミュニティー作りが大切なのではないか、と思います。地域共生はバラ色ではありません。痛みを伴うこともあるでしょう。それを乗り越えて「共生の社会」を作っていかねばならない。そして、それは可能であると、私は、今、強く実感しています。