「戦争の100年」から「平和の100年」へ (4)

2014年2月12日(水)更新:3
・『「戦争の100年」から「平和の100年」へ (3)』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20191019


【生命(いのち)の光 母の歌 第5章 「戦争の100年」から「平和の100年」へ (4)】

《サイフェルト博士 悪には直ちに正義の声を!後から「ああすべきだった」と非難するのは簡単です》
《池田SGI会長 若き友よ「史実」から学べ!仏典「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」》

●池田SGI会長 第1次世界大戦前、反ユダヤ主義の風潮の中で、ウィーンの多くのユダヤ系芸術家が苦しめられた歴史があります。
 大音楽家マーラーも、その一人でした。
 ユダヤ系作曲家のメンデルスゾーンが、ある演奏会でののしられた時、自分に何の関わりがあるのかと平然としていたというベルリンの音楽家に対して、マーラーは「もちろん大ありだ! だれもかれもが、そんなことは自分に関係ないと言ってすましている」「世の中のことはすべて、私となんらかのかかわりがあるものだ」と言って、叱りつけたというのです。〈酒田健一訳、桜井健二著『マーラーヒトラー 生の歌 死の歌』二見書房〉
 私どもの創価の父・牧口初代会長は語っていました。
 「よいことをしないのは悪いことをするのと、その結果において同じである」
 「事件が起きることが予想されるのに、いうべきことをいわないで、後に後悔する卑怯者になってはいけない」と。
 悪を断じて見過ごさない。何ものも恐れず、師子王の心で正義を叫びきっていく。牧口会長自身が、その通りの実践を貫きました。
 サイフェルト博士 牧口会長、戸田会長も軍部政府と対峙し、投獄されていますが、レジスタンス(抵抗運動)の闘士の勇気には感嘆せざるを得ません。なぜなら、自分には生き残れるチャンスがないということを覚悟の上で、ナチスと戦っていたのですから。
 私はレジスタンスの闘士について、いろいろと調査しました。当時、各地にナチスに抵抗した方々がいました。
 ドイツの神学者で、獄中で命を落としたディートリヒ・ボンヘッファーもそうです。彼はポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクらとともに、前に取り上げた平和の先覚者ベルタ・フォン・ズットナーの後継者ともいうべきでしょう。
 オーストリアに抵抗運動をした方々がいたことも忘れてはなりません。レジスタンスに参加した人たちのリストは、とても長いものになります。そして、そのほとんどの人たちが、自らの命と引き換えに運動を繰り広げていったのです。
 池田 ボンヘッファーは、マハトマ・ガンジーとも書簡を通じて交流があり、ガンジーの道場に行く希望もあったようですね。直接会うことはできないまま、ナチスへの抵抗運動に殉じています。39歳の若さでした。
 欧州SGIの草創期を築いた友が語っていました。
 「欧州の真正の文化人は、『信念の深さ』が違います。ナチスと戦ってきました。命をかけて戦う文化人なのです。だから、社会における重みも違うのです」と。
 私が深い親交を結んだ多くの方々も敢然とファシズムと対峙し、戦い抜いてこられた「真正の文化人」でした。
 美術史家のルネ・ユイグ氏は、フランス・ルーブル美術館所蔵の人類の至宝をナチスから命懸けで守りました。
 歴史家のアーノルド・トインビー博士しかり、ローマクラブ創始者のアウレリオ・ペッチェイ博士しかり。
 フランスの作家アンドレ・マルロー氏も、そうでした。「人間の尊厳」とは――氏は私に、自身の小説の中の、ファシストとその人物から拷問を受ける農民革命家の言葉を使って、こう語られました。「人間的尊厳とはなにか」「そんなこと、知るものか! わかっているのは、屈辱とはなにか、このことだけだ!」(対談集『人間革命と人間の条件』)
 ナチス支配下のフランスにあって、レジスタンス闘争を戦い抜いた氏ならではの叫びであると思います。
 サイフェルト そうしたレジスタンスの中で、ヒトラーを打倒する計画が頓挫したことがありましたが、その時、私の母は持ち前の純真さで、お隣の夫人に言ったそうです。「なんてことでしょう、あれがうまくいかなかったなんて! 首尾よくいけば、世界が救われたかもしれないのに」と。

●池田 賢い庶民は、悪の本質を鋭く見抜いているものです。
 中国戦線に行った長兄が、一時帰国した際、私に語っていました。「日本軍は残虐だ。あれでは、中国人がかわいそうだ。日本はいい気になっている! 平和に暮らしていた人たちの生活を脅かす権利なんて、誰にもありはしないはずだ。こんなことは絶対にやめるべきだ」
 そして涙を浮かべながら、こう言ったのです。
 「大作、戦争は、決して美談なんかじゃない。結局、人間が人間を殺す行為でしかない。そんなことが許されるものか。皆、同じ人間じゃないか」
 戦地を見てきた長兄の言葉は今も、私の胸奥に焼き付いています。
 かつて、軍国主義の時代に、日本がアジアの国々を蹂躙(じゅうりん)した歴史は、日本人が断じて忘れてはならないことです。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)とあります。
 過去は現在、現在は未来とつながっています。
 過去を拒絶する人は、過去の過ちを乗り越え、未来に生かす方途を知ることもできないでしょう。
 ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が叫ばれた、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳『荒れ野の40年――ヴァイツゼッカー大統領演説全文』岩波ブックレット)との言葉を深く心に刻んでいかねばなりません。
 サイフェルト おっしゃる通りです。後になって当時の世代について、“あの時、彼らは、ああすべきだったのに……”云々と非難するのは、たやすいことです。しかし、もっと公平に見た場合には、“私たちは二度とあの過ちを繰り返さない!”と過去から学ぶべきなのです。
 そして、悪への抵抗や反発は、そうした兆しに気づいた段階で、早いうちに、速やかに戦わなければなりません。
 「いや、それは間違っている!」と、直ちに勇気をもって、反対の声を上げなければならないのです。(つづく)

   (聖教新聞 2014-02-12)