文化・芸術は民族や国家を超えて人間を魅了し人と人とを結ぶ力がある

2014年2月13日(木)更新:2
・『「広宣流布とは“妙法の大地に展開する大文化運動”である」』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20191025


【新・人間革命 正義 三十六】
 妙楽大師の言葉に、「礼楽(れいがく)前(さ)きに馳(は)せて真道後(のち)に啓(ひ)らく」(御書一八七ページ)とある。
 「礼楽」とは、「礼儀」と「音楽」のことで、中国の伝統的な生活規範である。「礼」は、行いを戒め、社会の秩序を生み出し、「楽」は人心を和らげるものとして尊重された。「礼楽」とは、広い意味では「文化」といってよい。
 中国では、この「礼楽」が流布していたために、人びとが真(まこと)の道である仏法を理解することができたというのである。
 キリスト教を見ても、それを土壌にして生まれた音楽や美術等々の文化が、キリスト教への関心や共感を促す力となっていった。
 また、文化・芸術には、民族や国家を超えて人間を魅了し、人と人とを結ぶ力がある。優れた音楽が、世界の多くの人びとに愛され、人間の融和、心の結合の力となってきた例は少なくない。
 山本伸一は、埼玉文化合唱祭で、それらを踏まえて、学会の推進する文化運動の意義について言及していったのである。
 「埼玉の皆さんは、全国で開催される“合唱祭”の先駆けとして、見事な歌声を披露してくださった。心より御礼申し上げます。
 信仰によって、わが生命を躍動させ、奏でる楽(がく)の音(ね)も、合唱の歌声も、万国共通の言葉であり、万人の心を結ぶ“文化の懸け橋”となります。
 これから未来にわたって、日蓮大聖人の仏法を、どのように人びとの心に響かせ、世界に開いていくかという視点に立つならば、こうした運動が、その推進力になることは間違いありません。
 また、出演した方々は、この文化合唱祭に、自身にとっての大きな意義を発見し、信心の跳躍台としてこられたことと思います。
 学会の合唱祭や文化祭の重要な意味は、それを通して一人ひとりが信心を磨き、友情を深め、強い確信に立ち、発心の契機にしていくことにこそあります。自身の成長がなければ、華やかな催しも虚像にすぎません」

   (聖教新聞 2014-02-13)