地平線を越えて SGI会長との心の絆 他

2014年2月25日(火)更新:3
【韓国・京畿道城南市から 池田大作SGI会長夫妻に特別顕彰牌】
●盛大に開催された城南市からの「特別顕彰牌」授与式。李市長(前列左から4人目)と参加者が喜びのカメラに(城南幸福文化会館で)
●韓国・京畿道の城南市から池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻に「特別顕彰牌」が贈られた。世界平和への多大な貢献を讃えるものである。授与式は1月21日、韓国SGIの城南幸福文化会館で挙行され、李在明市長はじめ市関係者、韓国SGIの金仁洙理事長、金殷瀾婦人部長、京畿第2方面の代表が出席した。
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 首都ソウルに隣接する城南市は、高層住宅が立ち並ぶ人口約98万のニュータウン。交通の要衝・物流の中心として栄え、近年は情報通信産業ベンチャー企業が集まる新興工業都市として発展を続ける。市民の生活満足度も高く、保育支援や介護事業の充実など、福祉にも力を注ぐ。
 同市を舞台に活動する城南圏、山城圏の友は、「仏法即社会」とのSGI会長の指導を胸に、高齢者支援、図書館への書籍贈呈、識者を招いての教育セミナーなどを展開してきた。
 “公平で思いやりのある温かな街”を志向する李市長は、こうしたメンバーの姿を通じて、SGI会長のリーダーシップに共感を寄せるようになった。そして、SGI会長の平和思想と行動を心から賞讃し、今回の授章を決定したのである。
 晴れの式典では、婦人部合唱団「ピースシンガーズ」が、美しい歌声を披露。李市長から韓国SGIの金理事長に「特別顕彰牌」が託されると、場内に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
 あいさつに立った李市長は「池田会長夫妻がこれまで成し遂げてきた、世界平和と人類共存への献身的な努力に対し、深い敬意と感謝を表したいのです」と強調。希望輝く社会の建設に尽力するSGIと共に、さらに住みやすい城南市、首都圏をリードする都市づくりに、まい進したいと語った。

   (聖教新聞 2014-02-25、以下同)


【北海道・伝統の青年主張大会が士別市でスタート 本年186会場で実施予定】
●「青年の熱と力で、希望あふれる未来を!」とのテーマで行われた北海道士別市の青年主張大会(士別市民文化センターで)
 北海道の伝統の青年主張大会が23日、士別市でスタートした。
 同大会は1982年(昭和57年)の第1回以来、毎年、道内各地で開催。青年の語る信仰体験と社会変革への主張は、地域の名士や友人に共感と希望を広げてきた。
 33年目となる本年は全道186会場で実施予定。これには、池田名誉会長が祝福のメッセージを贈り、「自分のため、友のため、郷土のため、元気に青春を深く大きく勝ち飾っていってください」と望んだ。
 士別市の大会は士別市民文化センターで盛大に行われ、80人以上の友人を含む310人が集った。
 女子部の谷口綾さんが、さまざまな悩みを乗り越えながら夢だった保育士となり、病気の親を支えて奮闘してきた体験を発表。娘が太陽のように輝けば、一家も栄え、地域も社会も希望の方向へ進むとの信念に生き抜きたいと語った。
 男子部の飯田誠さんは、七つの国家資格を取得し、職場で活躍する様子や、自治会の役員として地域に貢献する喜びを披歴。縁する人の恩を忘れず、誠実に友情を広げる草の根の行動から時代を変える力は生まれると力説した。
 青年部の代表が合唱を披露。浜名北海道総主事が祝福した。


【地平線を越えて SGI会長との心の絆 フィリピン(下) 1991年】
《偉大な世界市民たれ!》
●会場を後にしようとするSGI会長は、力強く呼び掛けた。
 「世界一、立派な青年文化センターにしましょう。皆、そこで学び、成長し、英気を養って、世界中からも、多くの人に来てもらってはどうでしょうか」
●「どうか、その晴れの日を一つの目標に、全員が『幸福の王者』『幸福の女王』となって、一生を飾っていってください。また、必ず、お会いしましょう。きょう、お会いできなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください」
●「私たちは池田先生に、ずっとお会いしたかった。でも、“フィリピンの同志に会いたかった”という、それ以上の先生の心を感じました。
 先生の訪問によって、どれだけ多くの友が立ち上がったか。メンバーに希望を送る先生の誠実な振る舞いに、“同志に尽くし抜く”というリーダーのあるべき姿を教えていただきました」
     ☆
●容体は急激に悪化。98年2月、SGI会長がマニラを訪れた時には、ペンを握る力も残されていなかった。
 それでも弟子として、師のもとへ!――ネルソンさんは力を振り絞って、SGI会長のマニラ訪問への感謝を込めて手紙を書いた。
 受け取ったSGI会長は励ましの言葉を認めた。
 「ネルソン・シィ君! 頑張れ! この人生。君よ! 勝ちゆけ! 1998・2・11 マニラにて」
 そして、「手紙読みました。よく書いたね」との伝言とともに、ネルソンさんに贈ったのである。
●会長から贈られた言葉を見つめながら、語っていた。
 「ネルソンは、本当だったら85年の事故で亡くなっていたのかもしれませんが、転重軽受、更賜寿命をしたのだと思います。
 本当に幸せな息子でした。何より、池田先生にずっと見守っていただき、フィリピン広布に生き抜くことができたのですから」
 ネルソンさんの一番下の弟であるマヌエル・アンさんは今、長兄の思いを胸に、全国男子部長としてフィリピン全土を駆ける。次男、三男も広布の最前線で活躍している。
 個人会館はその後、増築を重ね、大きな仏間が二つある3階建ての宝城となった。昨年、音響や冷暖房機器を完備し、装いを新たにしたばかりだ。
 一家は経済的に何の不自由もなくなり、マニラ近郊随一の景勝地タガイタイ市に別荘を持つことができた。
 同市には、「フィリピンSGI総合文化センター」が立つ。“世界一の文化センターを”との91年のSGI会長の呼び掛けを受け、97年1月に完成したものだ。
     ☆
●SGI会長は長編詩「民主の空 希望の太陽」のなかで、フィリピン独立の英雄ホセ・リサールの言葉を引用し、次のように詠(うた)っている。
 「……リサールのごとく/あなたたちよ/偉大な世界市民であれ」
 「緑の島々を友愛の環(わ)がつなぎ/そして更に/友愛の翼がアジアを世界を一つに結ぶ/そのための信仰だ/そのための仏法だ」
 「庶民と庶民の心を結び/祖国フィリピンの/素晴らしい明日を信じて/今日の労作業に取り組もう/その一漕ぎ一漕ぎは/輝く明日への前進の歩み/いざ 進め 共々に/人間性の華咲く幸の港をめざして」
 フィリピン広布50周年の本年、マニラ市の「エスコルタ通り」にマニラ国際平和会館が誕生する。
 ここは第2次世界大戦の前、経済の中心地として栄えた場所で、戦争で甚大な被害を受けた。
 現在は、歴史的建造物が立ち並ぶ観光地として再開発が進む。リサールの手記のなかにも、「エスコルタ通り」が記されている。
 「リサールが待ち望んでいたような人材を、創価の師弟に生き抜く世界市民を、ここから多く育てていきたいです」と、アルカンタラ理事長。同会館建設に向けた思いをこう語る。
 「フィリピンのメンバーは、友の幸福のため、この国の安寧と繁栄のため、そして人類の希望の未来のために、懸命に仏法を語り広げてきました。
 池田先生が私たちに託された平和への思い。その師弟の誓願を果たすために、この新宝城から、フィリピン広布の新たな50年を切り開いていく決意です」