生命(いのち)の庭のわが娘よ 永遠(とわ)に光れ

2014年2月27日(木)更新:3
【学園抄 創立者とともに 第16回 幸福(さち)の乙女】
 先月30日の関西創価中学・高校。放課後の講堂で、ある集いが行われた。
 全て女子。高校3年生が皆に呼び掛けた。
 「学園の制服を着て、授業を受け、クラブができる感謝をもって、頑張っていきましょう!」
 今月3日、東京・創価学園でも高校の女子集会。3年生が自身の来し方を語った。母子家庭で育つも最愛の母を亡くす。悲しみを越えて学園に入った。
 「母と、育ててくれた2人のおばに“親孝行”していきます!」
 6日の同中学の集いでは各学年の代表が「世界で活躍する医師になりたい」等と決意を発表した。
 そして三つの集会とも同じ歌を合唱。清らかな旋律のその曲は、女子学園生歌「幸福(さち)の乙女」である。
 2006年2月3日に創立者・池田名誉会長夫妻から贈られ、誓いを込めて歌ってきた。毎年、この日を中心に記念集会を開く。
 「『幸福の乙女』とは、自分だけ幸福になるのではない。父も母も、友だちも、社会も、世界も、そして未来までも、すべてを幸福へとリードしていける女性の異名です」と創立者
 「私も妻も大好きな歌です」
 大阪・交野に創価女子中学・高校(当時)が開校して以来、東西の女子学園生を見守る創立者夫妻。その真心が歌に詰まっている。

〈「心」で弾く〉
♪桜花舞いゆく 学び舎の
 希望は高き 乙女らよ
 深き使命は 果てしなく
 知性の翼で 飛びゆけや

 桜が咲き誇る1973年(昭和48年)4月11日、女子学園の第1回入学式。
 胸が高鳴る1期生。創立者は「伝統」「平和」「躾(しつけ)」「教養」「青春」の5項目の指針を示した。「平和」では、こう述べる。
 「『他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない』という信条を培っていただきたい」
 同年9月14日の第1回希望祭で、凛々しく立つ雪国の少女の像を除幕。「希望の乙女」と命名した。前夜、「負けない乙女」から変更したのだった。
 「希望」とは負けない力――創立者は、朗らかで強い心をと願う。
 「芯のある女性に!」
 「姿は女王、心は勇姿になりなさい」
 11月14日。偶然、校内の卓球場近くにいたある生徒が、中へ誘導された。創立者が到着し、卓球大会が始まった。
 床に座って観戦していたその生徒。創立者に目を向けると、手招きされた。
 えっ、私? 慌てて立ち上がり、転んでしまう。
 「座ってから立つ時は、ゆっくり立つんだよ」
 創立者が手を取る。生徒の目が潤んだ。
 生まれつき指に障がいがあった。小さいころから、明るく振る舞っていても心の奥で悩んだ。なんで私だけ……。生きていることさえ、つらいと感じた。
 そして学園へ。今、その指を大きな手が包み込む。
 「引け目を感じることはないんだよ。君は女王なんだ。気品をもって堂々と生きなさい」
 ぬくもりが胸に染みる。
 「もう泣いたらあかんよ」。そばには気持ちを分かってくれる仲間がいた。
   ◇   ◇   ◇
♪名月(つき)はさやかに
           微笑みて
 学びの青春 歴史あれ
 輝く世界は 洋々と
 ああ未来あり 幸福(さち)の園(その)

 「今年で一番の月だね」
 76年8月10日。鹿児島の霧島を訪問していた創立者は、帰省中の女子学園生と懇談した。日が落ちたばかりの空に十五夜の満月。
 「山から出てくる瞬間の月の輝きのような女性が一番、気品があるよ。『英知』『教養』『気品』だね」
 創立者夫人もほほ笑む。
 「学園では、山の裏側から月が見えてくるんだよ。皆、見てるかな」
 離れていても学園生を思う。7年後には、交野で生徒たちと月を愛(め)でた。
 折々に創立者は、自ら礼儀やマナーを教えた。
 野点(のだて)で茶の作法。和室でふすまの開け閉め。会食で「素晴らしい女性は『気が付く人』なんだよ」と、心遣いの大切さを伝えた。全てが学びの場である。
 「立派な人材に育てたい。一人の指導者を育てると多くの人が幸福になる」
    ◇   ◇   ◇
♪青空(そら)を見上げて
           歩みゆけ
 創価の絆で いつの日も
 生命(いのち)の庭の わが娘(とも)よ
 永遠(とわ)に光れや 誇らかに

 「生徒は私の生命(いのち)です。娘です」と語る創立者
 青空が包む庭園など、さまざまな場所で生徒と触れ合い、“父娘”“姉妹”の絆と思い出を築く。
 「きれいな心で、良い思い出をつくる人は“天女”となる。その人は、いざという時に強い」
 開校5年の記念昼食会に出席した78年1月24日。終了後、創立者は、愛唱歌の作曲を担当してきた高校3年生のピアノを聴いた。
 「天才だね!」
 美しい音色を喝采する。
 もう1人の生徒も呼んだ。同じく愛唱歌に携わる高校1年生。だが、緊張して普段通りに弾けない。
 「いいよ。先輩と交代しよう」とねぎらった。
 再び3年生がピアノへ。周りの生徒が合わせて歌ったり、3年生と創立者が片手ずつで“連弾”したり。即席の音楽会は、爽やかな笑顔であふれた。
 うまく演奏できなかった1年生を創立者が励ます。
 「ピアノは『心』で弾くんだよ」
 彼女は音楽大学に進み、やがて母となった。長男は4歳でピアノを始める。才能を伸ばし、音楽の世界で生きると決意。だが進学先に迷った。音楽科の高校か創価学園か。母は「心で弾く」との創立者の言葉と思い出を語った。
 「心」を磨ける学園に行こう! 長男は東京校に入り、音大を首席で卒業。国際大会で第1位に輝き、名ピアニストへの道を歩む。


〈父母がつなぐ絆〉
 1982年(昭和57年)、東京の男子校と関西の女子高が、中高とも男女共学に。創立者は念願した。
 「男子は、ヨーロッパでいわれるジェントルマン、もしくはナイトの精神で」
 「女性は、女性らしい本質で成長していただきたい」
 「ただ学問という点においては、すべて平等です」
 80年の7月22日から3日間、東京創価小学校4年生が夏季教室として神奈川・箱根方面を訪れた。
 あっ、先生! 待っていたのは創立者。昼食やスイカ割りを一緒に楽しんだ。
 その輪に入れない女子がいた。親と離れると、いつも体調を崩す。別の場所で寂しく過ごしていた。
 気に留めた創立者が、声を掛ける。
 「強くなれ、強くなれ」
 後に、児童は「絶対に強くなります」と創立者に手紙を書く。元気に集団生活ができるようになった。
 中学に共学2期で入学。激励に学問で応えたいと高校でも真剣に学び、大学は薬学部へ。東京高の女子で初の博士となった。
    ◇   ◇   ◇
 95年5月、関西校に通う高校3年生の次女、小学4年生の三女を苦難が襲った。
 交通事故で父親が亡くなり、母親は重体。父は海外赴任から帰国したばかり。やっと5人で暮らせると喜んでいた矢先だった。
 すぐに創立者が伝言。
 「3人がしっかり力を合わせ、団結して」
 翌日も「嘆いてはいけない。しっかり勉強して、偉い人になりなさい。先生が応援するから」。
 後日、長女に揮毫した。
 「晴美がんばれ! 三姉妹負けるな! 父も母も 先生は一生わすれない」
 だが母も息を引き取る。
 長女は卒業前、集会で真情を述べた。目の前が真っ暗になる現実。創立者の言葉で懸命に上を向いた。
 「父母が、命懸けでつないでくれた池田先生との絆をもち続け、恩に報いるために大成長したいです」
 事故5年後の2000年2月28日、関西校の卒業記念撮影が神戸で行われた。
 「お父さんがいない人は?」
 創立者の声に何人かの手が挙がる。夫人からの“お菓子のレイ”が渡された。
 そして「お母さんが亡くなった人は?」。
 2本のレイを首に掛けた生徒が立っていた。三姉妹の次女だった。創立者夫妻も仲間も拍手を送った。
 三姉妹とも、教員など使命の舞台に羽ばたいた。創立者は喜ぶ。
 「生命は、生死(しょうじ)を超えて結ばれております。亡きお父さんや、お母さんは、わが生命に生きている」
 「皆さん方が幸福になることが、父母の幸福であり、栄光なのです」
 三姉妹の母校・関西創価小学校に、創立者の配慮で父母を記念する桜が植えられた。品種は、八重咲きの御衣黄(ぎょいこう)。花言葉の一つは「永遠」とされる。
   ◇   ◇   ◇
 先日の女子集会で、東西両校の高校3年生が同じ思いを話していた。
 「最高の『3・16』を迎えていきます!」
 3月はいよいよ卒業式。学園生活の最終章へ、悔いなき挑戦の日々を送る。

   (聖教新聞 2014-02-27)