Peace & Disarmament

2014年3月1日(土)更新:3
●We need to go out and mix with people every day. Making our local community the base for our activities, we need to forge ties of friendship with others and work with them to create peace. Staying connected in this way to our town, city, state and country is a practical manifestation of our lives permeating all things. Daisaku Ikeda

●Today, many people have given up on the possibility of nuclear abolition. But peace is always a competition between resignation and hope. Indifference and acquiescence in the face of the negative, destructive functions of life is, ultimately, to side with the forces of destruction. Daisaku Ikeda

●True optimism is based on unwavering conviction in our innate human potential. Daisaku Ikeda

歓喜のドラマ、歓喜の思い出、歓喜の友情を育んでいくための信仰

2014年3月1日(土)更新:2
・『『日々発心』『日々精進』。 ”わが人生に悔いなし”と言える前進を』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20200101


【新・人間革命 正義 五十】
 本部幹部会の翌日にあたる四月二十三日、三重研修道場(旧・中部第一総合研修所)の白山公園で、初の「三重文化合唱祭」が、「創価の歌声で開く万葉の天地」をテーマに、はつらつと開催された。この文化合唱祭は、午前、午後の二度にわたって行われたが、山本伸一は、そのいずれにも出席し、出演者、参加者らを励ましたのである。
 文化合唱祭は、勇壮な音楽隊のファンファーレ、華やかな鼓笛隊の演奏で幕を開けた。
 第一部「郷土に輝く共戦譜」では、広布の歩みが語られるなか、「威風堂々の歌」や「同志の歌」「新世紀の歌」など、懐かしい学会歌の合唱が繰り広げられた。
 第二部「我ら三重家族」では、「鯉のぼり」の曲にのって少年・少女部員が登場。「ぼくら師子の子」を元気に合唱したあと、代表が伸一に花束を手渡した。
 「ありがとう! お父さん、お母さんを大切に。しっかり勉強して、立派に育つんだよ。皆さんを、ずっと見守っています」
 伸一は、子どもを抱き締めて励ましながら、三十年後、四十年後に思いを馳せた。
 “二十一世紀は、この子たちの時代だ。世界広布の本当の朝を開かねばならない!”
 舞台で、少年・少女部員が声を合わせ、「おかーさん!」と呼ぶと、婦人部の合唱団が登場する。そして、子どもたちと肩を組みながら、「お月さまの願い」の合唱が始まる。ほのぼのとした創価家族の温もりが会場を包んでいく。
 また、女子部は、さわやかな「緑の栄冠」のコーラスを披露。男子部は、力強い体操の演技とともに、愛唱歌「原野に挑む」を合唱し、参加者を魅了していった。どの合唱、どの演目にも、信心の喜びがあふれていた。
 学会の世界とは、“歓喜の世界”である。“歓喜のドラマ”“歓喜の思い出”“歓喜の友情”を育んでいくための信仰である。
 「幸運の鍵はわが手中に歓喜のあることである」(注)とは、アメリカの偉大なる思想家・エマソンの名言である。
■引用文献
 注 「自己信頼」(『エマソン選集2 精神について』所収)入江勇起男訳、日本教文社

   (聖教新聞 2014-03-01)

アルゼンチン青年文化総会・ターニングポイント・スタートライン 他

2014年3月1日(土)更新:1
【第1回 アルゼンチン青年文化総会 池田大作SGI会長がメッセージ】
●私たちは、永遠に師と共に前進――会場の熱気が最高潮に達したアルゼンチン青年文化総会のフィナーレ。後継の誓いを込めて、テーマ曲「ミ・マエストロ・デ・ビーダ(人生の師匠)」を力強く(ブエノスアイレス市で)

《社会を潤す「良き市民」の連帯さらに》
●アルゼンチン広布50周年を記念する第1回「アルゼンチン青年文化総会」が2月22日(現地時間)、ブエノスアイレス市のマルビーナス・スタジアムで盛大に行われた。これには池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長がメッセージを贈り、「題目を唱えに唱え、自分らしく、勇敢に、誠実に、良き市民として人々のため、社会のために貢献しながら新たな仏縁の拡大を」と呼び掛け、世界広布新時代の「さきがけ」となって、威風堂々と世界を牽引していただきたいと念願した。文化総会はインターネットで各地の会館など153会場に中継され、あわせて約1万5000人が参加した。席上、ブエノスアイレス州の州都ラプラタ市からSGI会長への「傑出した人物」称号が授与された。

 オープニングの華やかな演目に続いて、学会歌「人間革命の歌」の合唱が響くと、舞台に設置された大型スクリーンに映像が浮かんだ。
 世界広布の伸展を伝える写真や池田SGI会長の映像が映し出されると、会場を埋め尽くした全ての参加者の視線は、スクリーンに引き込まれていった。
 目頭を拭う人もいる。“センセイの指針を胸に挑戦した日々”“師に応える人になろうとの誓い”――さまざまな熱い思いが、一人一人の心に去来していた。
 映像が終わってマイクを取った出演者が叫んだ。
 「センセイが世界の隅々に播かれた妙法の種は今、平和・文化・教育の連帯になり、192カ国・地域に広がりました!」
 そして高らかな声が会場に響きわたった。「ビエン・ベニードス!(ようこそ!) センセイ」
 会場の片隅から舞台を見つめていた女子部のロレーナ・ルイスさんは、「この会場には、確かにセンセイの心が満ちていました。アルゼンチンは、師の心を永遠に受け継いでいきます」と声を弾ませた。

   (聖教新聞 2014-03-01、以下同)


ブエノスアイレス州の州都ラプラタ市から池田大作SGI会長に「傑出した人物」称号】
●ラプラタ市の「傑出した人物」称号の決議書が、同市被害者支援局のロクフェル局長、フォンタナ女性局長から託された(ブエノスアイレス市で)
アルゼンチン共和国ブエノスアイレス州の州都ラプラタ市から、平和・文化・教育への多大な貢献を讃え、池田大作SGI会長に「傑出した人物」称号が贈られた。2月22日、アルゼンチン青年文化総会の席上、同市被害者支援局のワルテル・ロクフェル局長、シルビア・フォンタナ女性局長から、大場SGI理事長に「決議書」が託された。
 昨年4月、市全域を豪雨が襲った。市と被災住民の集会で、多くの人々が苦情を述べる一方で、SGIの友が“苦難の時こそ、人間は強くなれる”と発言。会場の雰囲気は一変し、皆で被害に立ち向かおうとの勇気の心が生まれた。
 これによってSGIを知ったブルエラ市長は、力強いリーダーシップで「良き市民」の連帯を育むSGI会長への共感を深め、今回の授与に至った。
 ロクフェル局長は、市を代表して次のように語った。「私たちの役割は、人々の人権、そして平和を守ることです。SGI会長こそ我々の模範なのです。
 そして、本日の文化総会に象徴されるように、青年を次代の主人公と信じ、力を発揮させているSGI会長を讃えたいのです」


【ターニングポイント 岩手県大船渡市で研修医として奮闘 松本昌泰さん】
《少しでも、わずかでもいい。 この地のために!》
東日本大震災から3年〉
●「昌泰(よしやす)くんが、信心で医者になるという夢をつかんだら、お父さんもきっと、喜んでくれるよ」
 父のうれしそうな姿を思った時、涙があふれた。
 「だまされたと思って、本気で祈ってごらん」
 真剣に信心しようとは、これまで考えたことがなかった。しかしその時の言葉は、胸に残って離れなかった。
 朝30分、夜1時間の唱題。だまされてみよう――そう思い、祈り始めた。
 父が「自分で決めたことは、最後までやり通せ」と言ってくれている気がした。
 そして、池田名誉会長の言葉は、さらに奮起するきっかけとなった。
 「信心の行動を起こしてこそ、祈りは叶う。大いなる祈りが、大いなる行動につながる。そして、大いなる結果を生むのである」
 唱題を重ねるほど、絶対に合格するんだ、という気持ちがどんどん強くなった。
 その思いとは裏腹に、4度目、5度目の受験も不合格だった。しかし、これまでとは違う感覚があった。“まだまだやれる!”
 6度目の挑戦でつかんだ岩手医科大学の合格通知。2007年(平成19年)3月、ようやく訪れた“春”だった。生まれ育った北海道から、岩手県へ渡った。

〈札幌創価幼稚園卒の医師〉
●2011年3月11日。まもなく大学5年生を迎えようとした時、大震災が襲った。
 名前しか知らなかった岩手県。だが5浪の末、今、自分はこの岩手にいる。ここにいる意味を考え、祈り続けた。
 昨年3月。松本は、札幌創価幼稚園の卒園生として初めて、医師国家試験への合格を果たす。
 一日も早く力をつけ、医師として苦しむ人を救っていきたいとの思いは、日増しに強くなった。
 研修先は、震災直後、連日100人前後の患者が搬送され、災害拠点病院となった県立大船渡病院に決まった。
 医療現場に立つと、命の重さを感じずにはいられない。
●“そうだ。誰よりもこの目の前の一人のために全力を尽くそう。笑顔で接していこう”
●少しでいい。わずかであってもいい。一歩一歩、この地で自分の役割を果たすために前へ進む。大船渡の景色を見つめるたび、いっそう気持ちが高まる。
 その決意を、父もきっと、喜んでくれるだろう。


【スタートライン 経営コンサルタント 心理カウンセラー 小倉(おぐら)広さん】
《もしかして「自分でやった方が早い病」にかかっていませんか?》
●「必ずみんなが一度はかかる病気だと思いますよ(笑い)。
 この病の症状は『部下や後輩に、上手に仕事を任せられない』ということ。20代のうちは“自分でやった方が早い”という発想でいい。スキルを高めて力を磨く時ですから。しかし30代は別。その発想が自分にも周囲にもマイナスになってしまう。
 30代は、自ら結果を残す“プレーヤー”から、チームを率いる“マネージャー”的役割へと脱皮することが求められます。若手を育成する役割も増える。なのに“自分でやった方が”という判断をしてばかりでは、業績は伸びても、人材育成の方は手つかずで残ってしまうわけです」
●「この病に陥りやすいのは、まず、部下や後輩は頼りない、自分のほうが“デキる”と思っている人です。でもこれでは本末転倒。若手にとって、仕事こそ成長の機会です。仕事を任されてこそ、人は育ちます。『成長してから任せよう』と思っていても人材は出てきませんよ。
 しかも今は、僕が社会人を経験したころとは逆の、低成長・ワークシェアの時代。仕事の絶対量が減少する中で、さらにリーダーが『自分でやる』となれば、部下や後輩から成長のチャンスを奪うことになる」
●「仕事を頼めないのは、必ずしも“優しさ”ではないですよ。何より、成長の機会を与えていない。それに、リーダー自身が仕事を嫌なもの、つらいものと捉えていては、部下たちの意欲も上がりません。
 逆に『仕事を任せるよ』と伝えたら、『やらせてほしい』『こんなアイデアがある』と、積極的な反応が返ってくるかもしれない。つまり、『任せられない』ということは、人のやる気や善意を信頼できていないということなんです。
 ですから、根っこは同じ。“病”の原因は、自己中心の考え方や、相手に信頼を置けない臆病さ。部下にとってみれば、自分を信頼してくれない上司と働くのはつらいですよ。そんな上司は、遅かれ早かれ痛い目を見る」
●「確かに、仕事を任せれば、部下や後輩は失敗するかもしれない。時間もかかる。ですから任せることは、『相手を信じ切れるのか』という、リーダー自身の姿勢と覚悟が問われる困難なチャレンジなんです。そして、困難の先にこそ成長もあります。
 困難に挑んでいるのは、仕事を任された部下も一緒。だからリーダーの役割は、困難に挑戦したいというエネルギーを、絶えず充電してあげること。つまり、勇気づけであり、励ましです。その時に一番大切なのは、『君ならできる』『君は立派なプロフェッショナルなんだ』というリスペクト(尊敬)を相手に示すことでしょう。
 すると、こちらも下手に口は出せない。相手を子ども扱いすることになりますからね。かといって見捨てもしない。きっとできると信じ、忍耐強く待つ。何かあればしっかりとフォローする。この姿勢こそ本物のリーダーだと思います」

〈「任される」のはどんな人?〉
(1)自分で締め切りを設定する
●大切なのは、明確に期日が決まっていないものについても、自ら周囲に締め切りを宣言して、仕事を進めること。これができる人は、仕事全体のスケジュールを管理できると見なされます。自分で自分に負荷をかけることで能力も伸びます。これこそ、「任せてもらう」ための第一歩です。

(2)選り好みのない人に信頼が
●本当に大事なのは、地味で面倒に思える仕事にも、同じ意欲をもって取り組めるかどうか。他の人が嫌がりそうな仕事でも、一生懸命に取り組んでくれると分かれば、上司だってどんどんチャンスを与えようという気持ちになるからです。


〈「任せる」時の6つのポイント〉
(1)「丸投げ」は「任せる」ではない
 仕事の“丸投げ”では、任せたことになりません。心の持ち方としては思いっきり任せる感じで、ただ行動としてはきっちりとフォローする。いざとなれば、いつでも助け船を出せる状況を整えておくことです。

(2)「作業」ではなく「責任」を任せる
 責任を与えず、作業だけを任せるリーダーのもとからは「作業を押しつけられるだけ」と、人が去っていきます。仕事は常に責任とセットにして任せるようにしましょう。仕事への意欲は、責任感に比例するからです。

(3)相手に「失敗する権利」を与える
 仕事を任せた部下が失敗してしまう場合もあります。しかし、人は失敗から学ぶもの。1度や2度の失敗で、部下からその権利を奪わないようにしましょう。任せることは、決して自分が楽をするためではないからです。

(4)短期だけでなく、中長期を考えて
 仕事を任せると、短期的な成果を上げるのは難しくなります。しかし、リーダーの責務は部下の育成です。そのためには中長期的な視点が必要。両立は困難ですが、あえて挑戦することで、自分の存在価値も高まります。

(5)いつも部下の隣を一緒に走る人に
 「あの件はどうなってる?」――強い口調での催促は部下の主体性を奪います。「質問したいことがあれば答えるよ」「何か手伝えることはあるか」など、部下の不安を取り除き、一緒に進む姿勢を示すことが大切です。

(6)どんな時も「未来志向」で望む
 最も大事なのは、失敗を繰り返さないこと。そして、再び挑戦できるように気持ちの切り替えを促すことです。また、目標が達成できた時こそ、新しい目標を設定して進んでいけるようなアドバイスが重要です。

『日々発心』『日々精進』。 ”わが人生に悔いなし”と言える前進を

2014年2月28日(金)更新:4
・『古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ』
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20191226


【新・人間革命 正義 四十九】
 みずみずしい若葉が、中部の新生を感じさせていた。
 四月二十二日午後、会長・山本伸一が出席して、名古屋市の中部文化会館で、四月度本部幹部会が晴れやかに開催された。
 伸一の会長就任十八周年の「5・3」を目前に控えた本部幹部会とあって、祝賀の思いを託し、壇上には花菖蒲が飾られ、この日の集いに彩りを添えていた。
 席上、伸一は、全国の同志の絶大なる尽力と奮闘に衷心より感謝の意を述べ、「皆様方が安心して信心に励み、広宣流布に邁進できるように、常に矢面に立ち、勇んで戦いの指揮を執っていきたい」と抱負を語った。
 そして、御書を拝して、いかなる大難が競い起ころうとも、前進の力へ、向上の力へ、発展の力へと転じていくなかに、真の仏法者の生き方があることを述べた。
 さらに、渾身の力を込めて訴えた。
 「仏法の眼を開いて見るならば、私どもは、宿縁深くして、広宣流布の尊き使命を果たすために、今、末法に出現したのであります。それは、久遠の昔からの、われらの誓願にほかなりません。自らこいねがい、仏に誓ったことなのであります。
 われわれは、ひとたび決めたこの道――すなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」
 誓いの大拍手が湧き起こった。
 中部の同志が、断固、”この道”を進みゆかんと心を定めた瞬間であった。
 「既に広宣流布の基盤は出来上がっております。いよいよ本格的な地域建設の時代を迎えました。しかし、それだけに、広布を阻もうとする障魔の嵐も激しさを増してくることは間違いありません。ゆえに、『日々発心』であり、『日々精進』であります。
 ”わが人生に悔いなし”と言える前進を、今日から再び開始しようではありませんか!」
 さらに、大拍手が場内に轟いた。

   (聖教新聞 2014-02-28)

「みんなでつくる故郷やけんね」

2014年2月28日(金)更新:3
【地域紀行 鳥取砂丘支部 いのち新たに明日へ】
 白みがかった朝の薄明かりのなかに、なめらかな大地の曲線が浮かび上がる。
 シュガーパウターをまぶしたような白雪の砂地。薄氷を張ったオアシスは、青みを増した曙の空を映している。
 「砂の芸術」と親しまれるここ鳥取砂丘の大地は、春夏秋冬、朝々暮々(ちょうちょうぼぼ)、さまざまな表情を作り出す。
 波模様の「風紋(ふうもん)」。砂が屹立(きつりつ)する「砂柱(さちゅう)」。斜面にすだれを垂らしたような「砂簾(されん)」。
 その自然の造形美を、お目当てに、休日や祝日ともなれば、観光客の足あとが砂一面に刻まれる。
 生きた大地の鼓動が聞こえてきそうな雄大な“砂の里”――鳥取市福部町からなる、砂丘支部にお邪魔した。
     ◇◆◇
 良質の砂だからこそ、なせるものがあると、横田文子さん(婦人部副グループ長)がいう。息子と共に「砂丘らっきょう」を栽培している。
 「日が照ってるとウズウズするけぇ、じっとしとれん」と、85歳の今も軽やかに自転車をこいで畑に向かう。
 傾斜地に延々と広がるラッキョウ畑。かつては、腐葉土(ふようど)をぶら下げた天秤棒を担ぎ、深い砂地をはい上がるように上った。
 「夏はえらい(大変)ですがな」。植え付けを行うのは炎天下の夏の盛り。砂の熱は60度まで上がり、昔から“嫁殺し”といわれてきた。
 しかし、どんな苦労も頼もしい夫と、ラッキョウの成長を楽しみに、畑で汗を流してきた。だが、その夫は38歳にして、この世を去った。
 砂に残された夫の足あと。ひざから崩れ落ちた。滴り落ちる波が、白い砂地を黒く染める。呼ぶ声のない畑はあまりにも広く、寂しかった。
 それでも、文子さんは畑に立ち続けた。遺された3人の子どものため。夫の生きた証しを残すため――。
 夫がいれば、と在りし日々を振り返ることもあった。心が折れそうな時、いつもそばには、ぬくもりがあった。
 学会の同志は「絶対に幸せになれるけぇ」と、共に泣いて手をとってくれた。学校から帰れば、子どもが畑作業を助けてくれた。たくさんの優しさが支えてくれた。
 「私は幸せもんです」。砂丘らっきょうを手掛けて65年。今日も畑には母の小さな足あとが刻まれる。
     ◇◆◇
 梨の産地・鳥取。梨農家の安田豊美さんの広大な梨畑には、12品種の梨の木が整然と並んでいる。
 数にして700本。「わしと同い年の木もあるし、まだ子どもの木もある」と、梨を語り出せば止まらない。
 「この人、木を守るのに命懸けですから」と、妻・くに子さん(副白ゆり長)。大雪の日ともなれば、2メートルほどの深雪から一本一本を掘り起こす。全ての雪を除くまでに3カ月かかることもある。
 「おいしい梨には寒暖差が欠かせん」という豊美さん。星がきれいな厳寒の夜ほど、梨を頬張る人たちの姿が浮かび、笑みがこぼれ落ちる。
 これまで夫妻は、高校生や青年農家など、若者の研修を受け入れてきた。寝食を共にしながら、梨の醍醐味、生命の輝きを伝える。中国・河北抄からの1年に及ぶ研修も、「漢字の筆談でなんとか乗り切りましたよ(笑い)」と、くに子さんが振り返る。
 そんな夫妻の一押しが新品種の「新甘泉(しんかんせん)」。みずみずしい芳醇(ほうじゅん)な甘みに、シャリシャリの食感。出荷の時期には注文が殺到するという。
 しかし他の品種に比べ、認知度の低い「新甘泉」。PRをするため、くに子さんは東京など各地へ足を運んでは、宣伝・販売をしてきた。
 「自分たちだけが良くてもだめ。地域で一緒に――だよね?」と夫にほほ笑みかけるくに子さん。二十世紀梨も、100年以上の歴史の中で、先代から受け継がれ、鳥取の名産となった。「梨っちゅうもんは、地域でつくっていく歴史なんだ」と豊美さん。
 梨を守ることは、地域を守り、未来を守ること――故郷の心は連綿(れんめん)と継がれる。


《最高の仲間と》
 大人が変われば、子どもも変わる。その信念で福部町の青少年育成協議会の会長として子どもたちに寄り添う田中秋年さん(副本部長)。
 福部に移り住んだのは昭和54年のことだった。慣れぬ土地での人づきあいに、おっくうになっていた。
 ある朝、通学する子どもたちが元気に呼び掛けてきた。「おいちゃん、おはよう!」――田舎の朝の一コマにすぎない。だが秋年さんにとっては格別の朝だった。「小さな殻に閉じこもっていた自分に気づかせてくれた」
 そんな子どもたちのためならと、地域の役を快く引き受けた。スポーツ少年団の指導員として、毎週、卓球も教えている。日を追うごとにぐんぐんと成長していく姿に驚きと喜びが重なる。
 だが、福部町も少子化という現実は避けられない。
 子どもたちが誇れる地域をつくることを自らの責任と決め、精いっぱい町づくりにも力を入れている。
 「人の痛みが分かる一人一人になってほしい」という思いから、時には口うるさくなったりもする。「やかましいおっちゃんに映っているかもしれない(笑い)」が、未来の宝の健やかな成長を祈り、若い心と真剣に向き合う自分であり続けたいと思う。
 何よりも、福部には、子どもの未来を考え、故郷を思う同じ志の友がいる。
 そんな最高の仲間がいるからこそ、まだまだ命の底から力が湧いてくる。「学会の人だけで喜んどってもいけませんがな。みんなで一緒につくる故郷やけんね」
     ◇◆◇
 冬の風がしみる鳥取砂丘。昭和35年2月23日、この地に立った池田名誉会長(当時・総務)は和歌を詠んだ。

 東洋の
  広宣流布
    断固征(ゆ)け
  日本海
    波は荒くも

 名誉会長が第3代会長に就任したのは、それから70日後のことだった。
 師が世界広布の誓いを刻んだ故郷を誉れとし、寒風に胸を張り進む、砂丘支部の友。
 “風の筆”が、日に日に新たに、砂丘の美をあやなすように、日々、新たなる命の輝きを放ちながら、友は愛しの里に喜びを広げる。

   (聖教新聞 2014-02-28)

アメリカ創価大学で教育シンポジウム 他

2014年2月28日(金)更新:2
アメリ創価大学で教育シンポジウム】
●多彩な研究成果が披露された創価教育シンポジウム(カリフォルニア州オレンジ郡のSUAで)
アメリ創価大学(SUA)で第10回「創価教育シンポジウム」が15日から17日にかけて開催され、多くの市民や教育関係者が参加した。
 主催は、SUAの学生団体「創価教育・学生研究プロジェクト(SESRP)」。
 今回は、マサチューセッツ大学ボストン校のウィンストン・ラングリー学事長はじめ、米ジョン・デューイ協会元会長のラリー・ヒックマン博士(南イリノイ大学教授)、ジム・ガリソン博士(バージニア工科大学教授)の両氏、デポール大学のジェイソン・グーラー博士らが出席。SUAの学生・卒業生・教員を中心に研究発表が行われた。
 15日には、国際関係論や人権を専門とするラングリー学事長が基調講演した。
 学事長は、現代社会には、”強者と弱者”といった差別観がまん延していると述べ、誰もが同じ人間であるという認識に立つ普遍的な人権を築かねばならないと強調。その人権の核こそ「平和への権利」であり、この権利の実現と人類の協調へ、SUAが果たす役割は大きいと語った。
 結びに、「人間が変われば、政治、社会、文化が変わります。池田博士が提唱する人間革命の哲理こそ、世界の変革への鍵なのです」と力説した。
 質疑応答では、「個人の変革を意識し過ぎると、社会全体の改善には至らないのでは」と率直な質問が。学事長は「人間の真の変革は、他者との継続的な関わり合いの中で生まれます」と応じ、個人と社会は相互に成長できると論じた。
 16日には、ヒックマン博士とガリソン博士が、池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長とのてい談「人間教育への新しき潮流――デューイと創価教育」(月刊誌「灯台」で連載〈2009年〜11年〉)について語った。
 ガリソン博士は、「師弟」とは上下関係ではなく、共同で価値を創造する関係であると主張。師弟こそ、教師と学生の交流のモデルであると述べた。
 一方、ヒックマン博士は、デューイの宗教観としてSGI会長がハーバード講演(93年)で指摘した、宗派としての”宗教”と、普遍的な精神としての”宗教性”の違いに言及。宗教性は、人間の理想への希求に関わるものであり、宗教性の啓発が教育において不可欠であると訴えた。 

   (聖教新聞 2014-02-28、以下同)


大白蓮華3月号が完成】
●巻頭言は「座談会で蘇る! 座談会で勝ち開く!」。その中で池田名誉会長は、座談会は集った人々の生命を蘇らせ、自他共に最高の幸福境涯を勝ち開く、希望と信頼の「黄金の会座」であると、その意義を綴っている。
 また、連載企画「世界広布は一対一で進む」は第3回(完)。名誉会長の欧州やアフリカの同志への激励行を追う。
 名誉会長の講義「勝利の経典『御書』に学ぶ」では「日妙聖人御書」を研鑽する。


【名字の言】
法華経は、励まし、褒めたたえる経典だ。御書に「法華経二十八品で、重要な法理を述べた部分はわずかで、褒める言葉が多いと思っていきなさい」(1242ページ、通解)と記されている▼「褒める」と「おだてる」は違う。「褒める」とき、人は相手の可能性を心の底から信じている。その心が強い分、相手の心の奥まで伝わる。褒められた喜びは大きな自信となり、思いもしない力を発揮させる

Difficulties

2014年2月28日(金)更新:1
●You can forge the path to a fulfilling and enjoyable life if you have the depth of faith to regard everything as a source for creating happiness and value. Conversely, if you see everything only in a negative or pessimistic light, your life will gradually but inevitably be plunged into darkness. Buddhism teaches the subtle principle of ichinen and, moreover, the power of faith. Daisaku Ikeda

●Defeat lies not in failing or making mistakes; rather, it lies in giving up on ourselves when we do so. Daisaku Ikeda

●To shift one’s thinking and see things from another perspective is the first step to changing both oneself and one’s environment. Daisaku Ikeda