これほどの悦びをば・わらへかし

《6月22日更新:3》

【御聖訓・御指導】
■“非難されているかどうか”が問題なのではない。よきにつけ悪しきにつけ、動けば風は起こる。何も言われないのは、何もしていないからである。問題は、“だれに非難されているか”である。善人は悪人に非難され、悪人は善人に非難される。この本質を、きちっと見ていくことである。(1993-11-29)

■「讒言(人を陥れるため、事実を曲げ、偽って、その人を悪く言うこと)」はつねに、「正義の人」を陥れる手段である。事実をねじ曲げ、真実に全く反するウソをつくりあげ、それによって攻撃する。(1996-08-29)

■仏法について「無知」であり、偉大な、正義の日蓮大聖人を「恐れる」ゆえに、狂気の迫害を門下に加える悪侶たち。しかし、この迫害こそ、彼等が滅びる“きざし”である。
大いなる革命には、それだけ大きな反動がある。しかし、それは悪い旧勢力が滅びゆく兆候なのである。悪の“根”が露見してしまったら、もうそれ以上、栄えようがない。もはや滅亡の坂を転げ落ちていくしかない。(1991-08-11)

日蓮大聖人は、「悪口罵詈」と「権力の弾圧」の集中砲火の中で、『これほどの悦びを笑いなさい』(P.914)と仰せである。
御書には『楽しいかな楽しいかな』『悦ばしいかな悦ばしいかな』という大聖人の笑い声が、あふれている。大聖人を、がっくりさせようとした権力者や悪僧の“もくろみ”は完全に狂ってしまった。私どもも、くだらない策謀などまったく「無視し」、笑い飛ばしつつ、晴れわたる心で、楽しく、堂々と、王者の前進をしてまいりたい。(1998-04-21)