「金と異性には気を付けろ」

日蓮大聖人の時代もそうでした。
あの三位房に対して、大聖人は、こう仰せです。『総じて日蓮の弟子は京都に上ると、初めは(初志を)忘れないようであるが、後になると、天魔がついて正気を失ってしまう』と。“京なめり”になって、つまり、世間の軟風になじんで、信心を忘れてしまったのです。
また上野殿御返事では、反逆者の共通点として、「欲深い」「臆病」「愚かなのに慢心が強い」と仰せられている。
結局、信心を狂わせていくのは、常に自分の醜い増上慢、慢心なのです。
(『21世紀の創価の正義』 青木亨編 以下同)
●根本を忘れ、会員の方々を見下す。いわんや立場を利用して、金儲けをしたり、後輩を上下関係で見て、自分の手段にする。
すべて学会利用であり、信心利用です。そうなったら、もはや広宣流布の幹部ではない。「魔」です。「敵」です。
●だいたい、おかしくなる連中というのは決まっている。戸田先生は「金と異性には気を付けろ」と言われたが、全く、その通りで、退転の因は決まっている。私生活が乱れていて、何をやっているか見えない。
●学会員は、人の良い人ばかりだから、インチキな幹部というものは、そこに付け込んで利用しようとする。その結果、広布の前進を阻害し、多くの同志を苦しめる。
●人間は、何も言われなくなると、おかしくなります。気が付かないうちに慢心になってしまう。また、さも偉そうにして、何も言わせない雰囲気をつくっていく。こういう人は、必ず問題を起こして、皆に迷惑をかけていくものです。
●金銭を目的にして仏子を利用し、あまつさえ食い物にするのは、誰であれ「魔」であり「敵」です。
●──特に幹部の組織利用は、会員への影響力も大きいだけに、よくよく心すべきですね。
そう。重大な幹部失格です。学会を撹乱する破和合僧の行為です。
私も長年、いろいろな人を見てきました。その中で、金銭にルーズな人間、不明瞭さのある人間は、最後は必ず、信心の軌道を踏み外しています。

●権力維持や保身のために思想や宗教を支配しようとするのは“転倒の指導者”
(『法華経智慧 第三巻』 池田大作 以下同)
●自分の見栄や策謀で、偽善的に清貧ぶったり高潔ぶるのは、宗教利用と言わざるを得ない。

【御金言】
■よくふかく心をくびやうに愚癡にして而も智者となのりしやつばらなりしかば事のをこりし時たよりをえておほくの人をおとせしなり(P.1539)
■未だ位深からず信心薄く口に誦すれども其の義を知らず一向名利の為に之を誦す(P.84)