外の姿は静まりたる様にあれども内の胸は・燃ふる計りにや有らん

【御指導】
■世間の評判を恐れて「臆病」に負け、毀誉褒貶に惑わされて「傲慢」に陥り、何よりも、一番大切な「信心」を見失ってしまうことが、結果として「法」を下げることに通じていく。
まさしく“法華経に傷をつけてしまった”忘恩の背信者たちに共通するのは、信心を見失い、地位や財産に固執する姿に陥っていることです。
黒い濁りの生命ゆえに、信仰の魂をなくした、哀れな「精神の敗北者」の姿を露呈している。にもかかわらず、そのことを恥じる心すら失っている。
それが、「無明」の恐ろしさです。
■妬み深い人間は、つねに動揺している。他の人の動向に一喜一憂しながら、いつも胸中で、あれこれ策をめぐらしている。本当の自身がなく、不安定に、ぐらついている。心の休まる暇がない。