愚人に憎まれたるは、第一の栄光なり─牧口先生

■「慢」の心は、いつも揺れ動いている。安定し、安らぐことがない。相手を動揺させようとしていながら、実際に揺れ動いているのは、嫉妬の人間のほうなのです。
大聖人は、法華経の敵の“眼(まなこ)の転倒”を、こう指摘された。「自分の誤りをかえりみない者が(大聖人を)嫉妬するあまり、自分の目が回っているのに、大山のほうが回っていると見ている」(御書P.1453、趣意)。
大山は不動です。それなのに、大山が回っているように騒ぐ人間は、自分の目が回っていることを告白しているに過ぎない。
(『法華経智慧 第四巻』池田大作)

【全国青年部幹部会でのスピーチ】
■私を陥れ、私利私欲のために学会を利用しようとした人間たちが、今、どうなっているか。皆、哀れな末路をたどっている。仏法は本当に厳しい。
イギリスの大詩人ミルトンは綴った。
「腹黒い邪心や汚れた邪念を隠しもつ者は、真昼の白日のもとでも、夜陰につつまれて歩く。自分が自分の牢獄になっている」
その通りだ。邪悪な人間は、暗い心の牢獄の中にいる。そして、結局は自らを破滅させていくのだ。 (2008-03-05)
(『師弟の宝冠 「広布第2幕 全国青年部幹部会」池田名誉会長スピーチ集 vol.3』)

【随筆 人間世紀の光 「池田華陽会」の前進を喜ぶ】
■愚かなる また哀れなる 敗北者 乗り越え 勝ち越え 華陽の宝山(やま)へと
大恩ある師匠を裏切り、同志を苦しめ、学会に仇をなしていった連中も、私たちはたくさん見てきた。途中で早くも敗北していった人びとの、あまりにも不幸極まる地獄の醜態は、皆様方もご存じの通りだ。どんなに自己正当化の詭弁(きべん)を弄そうとも、その胸中は、自分で自分を裏切った敗北である。(2008-05-01)
(『同 vol.5』)

■傲慢と策略と陰険な人生の最後は、哀れだ。
(『21世紀の創価の正義 第2巻』青木 亨 編)