夫れ仏法と申すは勝負をさきとし(P.1165)

【御聖訓】
■もし菩薩がいて、悪人をかばい、その悪を罰することができず、そのために、かえって悪を増長させ、善人を悩ませ、混乱させ、正法を壊してしまうならば、その人はじつは菩薩ではない(P.1374、通解)
【御指導】
■いずこの世界にあっても、悪人を放置しておけば、内側から破壊されてしまう。これほど怖いことはない。また、そうした悪がはびこるのを、黙って許しておくことも、重大な罪である。いわんや、仏法の世界は、より峻厳である。
御書に「師子身中の虫が師子をむしばむ、と言うとおり、仏教を下道は破りがたい。仏教の内部に事が起こってきて、仏道は失われてしまうだろう。これは仏の遺言である」(P.1271)と説かれている。
清らかな、うるわしい、この正法の世界に、悪が巣くうようなことは、断じて許してはならない。そうでないと「師子身中の虫が師子をむしばむ」とのごとく、内部から妙法の世界がむしばまれ、永遠なる広宣流布の道がふさがれてしまうからである。
有名の人がいる。栄誉の人がいる。功績の人がいる。人は、おうおうにして、これらの“飾り”に幻惑されやすい。しかし、それらは信心とは何の関係もないことである。これまで学会にも、有名や栄誉、功績の仮面をかぶって、学会を利用しようとしたり、増上慢となり退転していった者が出た。これからも、そのような名聞名利の人物が出るかもしれない。しかし私どもは、絶対に、こうした「悪」の蠢動を許してはならない。正法の「敵」を鋭く見抜いていくことだ。仮面の策略に翻弄されてはならない。そして信心の世界で「悪」の働きができないように、責めだしていかねばならない。(1989-10-01)
■戸田先生は語っている。「魔が強いからこそ、勝てるのだ。信心が毅然として、そのうえで、魔が強いということは、必ず勝てるという証拠なのである。要は自分自身の決心にかかっている」(2010-01-23)

2月19日更新:2