御指導

●この末法で、「善知識」にめぐり会えることが、いかに幸せなことか──。
「善知識にめぐり会えるということは、たとえば一眼の亀が、大海で奇跡的に浮き木の穴に入るようなものであり、また梵天(天上)から糸を下げて、大地に置いた針の穴に通すようなものであると、仏はたとえておられる。そのうえ、末代(末法)の悪世には、悪知識は大地微塵よりも多く、善知識は爪の上の土よりも少ない」(P.1468)と。
悪知識とは、善知識の反対で、ウソつきであり、人々をだまし、良い心を壊す存在である。そして悪の方向へ、不幸の方向へと、人々をおとしいれ、正しい仏法の実践をなんとか妨げ、邪魔しようとする。こうした悪知識を鋭く見破り、だまされることなく、どこまでも善知識を求めていくことがいかに大切であるか、御書には繰り返し示されている。人々を迷わせ仏道修行を妨げる悪知識は大地微塵より多く、善知識は爪の土よりも少ないのが末法の現代である、と。
そうした悪知識が充満している悪世の時代に、私たち学会員は、正法を信受し、広布のため、平和のため、社会のため、友のため、皆の幸福のために尽くし、最高に価値ある人生を送っている。
大聖人が仰せどおりのかけがえのない「善知識」とは──。それは、皆さんのお父さん、お母さんが懸命につくりあげてきた、わが創価学会である。このことを決して忘れてはならない。
ご両親をはじめ、多くの先輩方の労苦の結晶、尊き人生の結晶である。この、ほかには絶対にない(1991-07-28)

6月3日更新:3