第三最も甚だし転(うたた)識(し)り難きが故に(p.229)

●昭和三十一年の戦いに直面したとき、彼の弟子たちは戸田の指導を仰いだが、彼らの意図する世俗的な闘争方針を心に持(じ)しながら、戸田の根本方針を原理として聞き、結局、彼らの方針の参考としてしか理解しなかった。戸田の指針と彼らの方針とは、厳密にいって不同であったのである。 (『人間革命 十巻』 池田大作)

9月16日更新:3