宗教には高低浅深がある

【新・人間革命 福光三十】
●戦後、歌枝は、県南の小名浜にある化学工場に勤める管田留太郎と結婚し、新婚生活はその社宅からスタートした。三人の子宝にも恵まれた。しかし、皆、病弱だった。
ある日、妹の知り合いだという婦人たちが訪ねてきた。宗教の勧誘であった。
姓名判断をされ、こう言われた。
「あなたは、ご主人を亡くし、三人のお子さんも早生(そうせい)するでしょう」
そして、その宗教への入会を勧められた。
歌枝の父親は三十七歳で病死していた。子どもたちも小児喘息などの病に苦しんでいる。それだけに不安を覚え、入会した。
道場にも通い、積極的に布教にも歩いた。
しかし、ほどなく、夫の留太郎が肺結核にかかったのである。彼女は、今度は、夫の病を治したい一心で、ますます熱心に活動を続けた。多額の布施もした。真冬の深夜に、水を被る水行もした。ところが、夫の病状は、悪化の一途をたどっていったのである。
歌枝は、自分は騙されていたと思った。
“もう宗教なんて、こりごりだ!”
宗教は、人間の生き方の根本法である。もし、教えに誤りがあり、それを信じてしまえば、その影響が表れる。ゆえに、人びとの幸福を願うならば、宗教の教えについて鋭く考察し、対話を重ねていくことが大切になる。
一九五四年(昭和二十九年)の初夏のことである。管田留太郎と歌枝は、東京から来た青年から、創価学会の話を聞いた。
青年は、日蓮仏法の偉大さを語り、学会の書籍を置いていった。病で苦しんでいた留太郎は、むさぼるように読んだ。そこには、宗教には高低浅深があることや、信じる対象によって、人の幸・不幸は決定づけられていくことなどが論じられていた。留太郎は、よく納得することができた。
“よし、この仏法にかけてみよう!” (聖教新聞 2011-10-06)

10月6日更新:2