民衆に不可能はない

【独ベルリンでの核廃絶SGI会長のメッセージ】
一、東西冷戦の対立を乗り越えて、新たな歴史を刻み続けておられるベルリンにおいて、本日、「平和の文化」の建設をテーマとする「核兵器廃絶への挑戦」展が開催されますことに、私は格別の感慨を禁じえません。世界192ヵ国・地域のSGIメンバーを代表し、心からの感謝を申し上げます。

《恩師の「原水爆禁止宣言」が原点》
一、「世界の政治的状況は、真の意味での平和維持の秩序が生じるために、根本的に変革されねばならない」(遠山義孝訳『心の病としての平和不在』南雲堂)──これは、冷戦時代に核兵器の脅威を訴え抜かれたカール・ヴァイツゼッカー博士の言葉であります。
来年で、博士たちが中心となって推進された「ゲッティンゲン宣言」の発表から55周年の佳節を迎えます。
この宣言が発表された1957年(昭和32年)は、私の師である戸田城聖第2代会長が、核兵器を「絶対悪」と断じ、その廃絶を訴えた「原水爆禁止宣言」を発表した年でもありました。
以来、私どもは、この宣言を原点として、「核兵器のない世界」を目指す運動に取り組んでまいりました。2007年(平成19年)9月からは、新たに「核兵器廃絶への民衆行動の10年」の運動を立ち上げ、志を共にするさまざまな国際運動と協力しつつ活動を展開しております。
核兵器廃絶への挑戦」展はその一環であり、これまで世界220都市以上で開催され、多くの人々の来場を得てまいりました。ドイツは、20番目の開催国となります。

《核を正当化する知的根拠は崩壊》
一、この積み重ねの中で、一層浮き彫りになってきたことがあります。
それは、冷戦時代に構築された「核抑止論」というイデオロギーの正当性と有効性に対し、これまで当然視していた政治指導層の中からでさえ、疑問が投げかけられ始めているという事実であります。〈核抑止論とは、核兵器による“恐怖の均衡”が戦争を抑止するという考え〉
すなわち、「核兵器は本当に必要なものなのか。なぜ持ち続けなければならないのか」という問いであります。
著名なカナダのダグラス・ロウチ元軍縮大使は、最近、各国を歴訪するなかでの実感として、「核の抑止論を正当化する知的根拠は、もはや崩れつつある」と強調されております。
時代の潮目は、大きく変わり始めていることを感じるのは、私一人ではないでありましょう。
国連事務総長をはじめ多くの指導者や専門家の方々が指摘するように、テロリストによる核攻撃の危険性の一つをとってみても、「核抑止論」に依存する核兵器が、今日の安全保障に資さないことは、明々白々です。
こうした変化にもかかわらず、「核抑止論」という一種のドグマにより、核兵器保有することがすなわち安全保障であるという考え方が、「現実主義」の名のもとに正当化されてきました。
しかし冷戦終結から20年余りを経て、なおもそうした硬直した姿勢を続けることは、「現実主義」というより、むしろ危険な思考ではないでしょうか。
一、さらに本年3月の福島における事故により、原発の安全性にも大きな不安が投げかけられています。今回の原発事故は、原子力エネルギーそのものに人類がどう向かい合うのかを厳しく問うていると言えましょう。
私たちの眼前には、貧困や環境問題、また深刻な失業や金融危機など、各国が一致して立ち向かうべき「人類共通の課題」が山積しています。
そのために必要な人的・経済的資源を犠牲にしてまで核兵器を維持することの愚かさが、今、一層、明らかになっております。
一、あくまで必要とされるのは、「安全保障」であって、「核兵器保有」ではありません。
21世紀の真の安全保障を考えるにあたり、私どもは変わりゆく現実を直視し、それを望ましい方向へと導くべく、さらに新しい現実を生み出す想像力を持たねばなりません。
軍事力による「国家の安全保障」から「人間の安全保障」へ──この発想の転換のカギを握るのは、そうした「想像力」に裏打ちされた「創造力」であります。そしてこれこそが、この展示会の訴える主たるテーマの一つにほかなりません。
核兵器の廃絶は、人類の創造力をいかんなく発揮することによって、大きく前進するものであります。
もちろん、その道のりは、決して容易ではありません。
しかし人類の歴史──なかんずく、ここベルリン市民の勇気の歴史は──人間には、どんな困難な状況をも打開し、より豊かで実りある価値創造を成し遂げる力が備わっていることを堂々と示してこられました。

《連帯の絆を強め》
一、人類の宝であるドイツの文豪ゲーテは語りました。
「確信したものを実行するだけの力は、かならず誰でも持っている」(大山定一訳「ゲーテ格言集」『ゲーテ全集 第11巻』所収、人文書院)と。
この偉大な力を、一人一人の人間が縦横に開花させながら、粘り強い対話を通じて人々の規範意識を変革し、連帯の絆を強めつつ、新たな現実をつくり出していく──ここに、「暴力の文化」から「平和の文化」を目指す人類的挑戦があると、私は訴えたいのであります。
この挑戦において、ヨーロッパの安定と平和的な統合の推進を担ってこられたドイツの果たされる役割は誠に大きいと信じます。

《「不可能」の壁を取り払え》
一、思えば、ベルリンの壁の設置から2ヶ月後の1961年10月、私はブランデンブルク門を訪れました。兵士や戦車が居並ぶ冷戦最前線の寒々とした風景は、今も忘れることができません。
しかし、撤去不可能と信じられていたあのベルリンの壁も、民衆の手によって決然と取り払われました。
同じく、全廃不可能であると信じられている核兵器も、目覚めた民衆の力によって必ずや取り払われることを、私は強く確信してやまないものです。
一、「核兵器のない世界」という偉大なる目標に向かって、心ある政治指導者ならびに市民社会は、今こそ連携を密にし、その総力を結集すべき時を迎えています。
その里程標ともいうべきものが、核兵器禁止条約の実現です。その早期交渉開始を、ここベルリンの地で、私は改めて強く訴えるものです。そのために、私どもSGIも、皆さまと力を合わせつつ、更なる努力を重ねていく決意であります。
一、結びに、ご隣席の皆さま方のご健勝とともに、関係諸団体の益々のご発展を心からお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます(大拍手)。 (聖教新聞 2011-10-09)

10月9日更新:2