C型肝炎と闘って

【きょうの発心】
このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり (妙心尼御前御返事、1480ページ)
〈通解〉この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである。
●夫が病床に伏していた女性門下に“病を縁として求道の心が起こってくる”と励まされています。 (聖教新聞 2011-11-04)

C型肝炎と闘って 3度の治療で「100%完治」 私には師匠、同志がいる 絶対に負けない!】
〈2回目の挑戦も…〉
●週1回、1年継続して治療を受けた。副作用は想像を絶した。夕方になると、40度以上の高熱が出る。食欲はなくなり、めまい、吐き気、けだるさに襲われた。題目を唱えることもできない夜が続く。副作用に耐え、治療は終了。半年以上、陽性反応が見られなければ駆除成功と判断される。
だが1ヶ月後、最初の検査で、医師が言った。「残念ながら…陽性です」
次第に、死の恐怖を感じるようになっていた。

〈3重苦をはね返し〉
●会社からは暗に退職を勧められ、部署も異動。マンションのローンが重くのしかかる。
「もう死ぬしかない」。弱音を吐く夫と、いさかいが絶えなくなった。こんなに戦っているのに、夫の宿命までも背負うのか!
思い悩んだまま御本尊に向かっていた時、ハッと気がついた。
“違う。私の境涯革命と一家の宿命を転換するために、夫は病気になってくれたんだ。家族全員が真剣に祈れるように!”
心が定まると、状況は見る見る開けていった。

〈果たさん使命あり〉
●09年3月から、週1回の注射治療を72週、約1年半続けた。
2回目とは決意が違った。“必ず治す。副作用に広布の戦いを邪魔させない”。そう祈って臨(のぞ)むと不思議と高熱が出なくなった。
しかし治療が進むにつれ、体力は衰え、不安がよぎった。そのたびに仏法対話に、学会活動に歩いた。翌年3月には、同じ団地に暮らす友人に弘教も実らせた。
毎晩、唱題を終えては「人間革命の歌」を口ずさんだ。
1番の「広布の天地に 一人立て」では、きょうも一人立つ戦いを起こしたかを自分に問いかけた。
2番の「この世で果たさん 使命あり」では、病に打ち勝ち、使命を果たし抜く自分を強く想像した。
3番の「君も見よ 我も見る/遥かな虹の 晴れやかな」では、「池田先生と共に晴れやかな虹を仰ぎ見るんだ」と定めた。
10年7月に治療を終え、経過観察に。陽性反応は見られなかった。そして、治療終了から半年が過ぎた本年1月、「99%完治」と告げられたのだ。
そうした時、「3月11日」を迎えた。東日本大震災が発生。仙台市宮城野区は、震度6強に襲われた。老朽化した11階建ての団地の被害は甚大だった。すぐさま自治会長として救援に駆けた。
高齢者がいる世帯の安否を確認し、トイレ用の水を運び続けた。いつ寝て、いつ起きたのかもわからない。入浴できた時には、発生から約3週間が過ぎていた。
ライフラインが復旧し、なんとか暮らしを取り戻して迎えた4月14日──医師は「100%完治」と告げたのである。
3回目の治療期間。それはまさに、師への誓いを胸に広布拡大に駆け、未曾有の大震災に遭いながら、人々のために尽くし抜いた日々だった。
「学会で正しい生き方を教えていただきました。だから、池田先生の偉大さと同志の大切さを、何としても証明したかったんです。これからも、何があっても負けません」
そう語る山内さんの顔には、はるかな虹を仰ぎ見るような、明るく清らかな笑みが広がっていた。 (同)

11月4日更新:4