福光の種子は植えられた

2011年11月10日(木)更新:5
【新・人間革命 福光 五十九】
山本伸一の声に、一段と力がこもった。
「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。
苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力──それが信仰です。それが、地湧の菩薩です。真の学会員です。
どうか、皆さんは、大試練の時こそ、“われらは、創価の後継者なり”“われらは、新時代の山本伸一なり”との自覚で、さっそうと立ち上がってください。その希望あふれる姿が、広宣流布の力となります。
これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光(ふっこう)の光源となっていくなら、福島は磐石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」
会場は、雷鳴を思わせる青年たちの決意の大拍手に揺れた。
伸一は、さらに、皆のために、ピアノを弾いた。曲は、楠木正成と正行の父子の別れと誓いをうたった、あの“大楠公”であった。
“君たちの闘魂で、英知で、力で、二十一世紀の広宣流布の突破口を開くんだよ!”
彼は、こう語りかける思いで、三曲、四曲とピアノを弾き続けた。“福光の種子は植えられた”との、手応えをかみしめながらの、喜びの演奏であった。
伸一が、栃木県・那須にある関東総合研修所(現在の栃木研修道場)に向かうため、福島文化会館を発ったのは、午後七時五十分であった。
車窓から見る空は、漆黒(しっこく)に包まれていた。しかし、彼の胸には、郡雲(むらくも)を破り、燦然たる黄金の光が降り注ぐ、巍々(ぎぎ)堂々たる会津富士(磐梯山)が広がっていた。それは、福島の、そして、東北の、青年たちの英姿と、二重写しになっていった。
“福島を頼むよ! 東北を頼むよ!”
伸一は、心で叫んでいた。 (この章終わり) (聖教新聞 2011-11-10)