最も苦労した人が最も幸福勝利を!

2011年11月11日(金)更新:3
【随筆 我らの勝利の大道 63 東北は人類の希望の光】
●若き魂の歌声があるところ、侘しい落胆などない。常に新たな開拓が始まる。
今、全国各地の創価青年大会でも、若人の弾ける命の合唱が躍動している。これほど力強く頼もしい、青春の凱歌があろうか。

〈民衆の大叙事詩を〉
●連載は、新たに「共戦」の章に入る。創価の師弟が共に心を合わせ、共に戦いを起こすのだ。
無名にして偉大な同志たち、苦楽を分かち合う真正の弟子たちの大闘争を、永遠に語り継ぐための民衆の叙事詩である。
それを思えば、一回一回の執筆にも渾身の力が宿るのだ。
いかなる苦難に遭おうと、人間の無限の可能性の炎は、断じて消えない。
最も苦しんだ人が、最も幸福になる!
最も苦労した人が、最も偉大な勝利者と輝く!
これが日蓮仏法の心だ。
私が対談した、中国の「国学大師」と仰がれる饒宗頤(じょうそうい)先生が語っておられた。
「蓮華は泥中にあっても、それに染まらず、美しい花を咲かせるという『如蓮華在水』は、法華経における主要な正義であり、教育といえましょう」

〈勇んで友のもとへ〉
●先日も、ある県の支部長会の模様を伺った。
その集いで、一人の女子部リーダーの発言に、会場は感動に包まれたという。震災でお父様を亡くされた、この乙女は語った。
「苦しいのは、私だけではありません。もっともっと大変な方々がおられる。父は、私にそのことを教えてくれたのです」
この華陽の友は、悲しみを乗り越え、同世代の友を入会に導いた。
何と崇高な「福光」の拡大であろうか。
亡くなられたお父様も、きっと笑顔で見守っておられるに違いない。
仏法では、親子の「同時の成仏」が厳然と明かされている(御書七四六ページ)。
戸田先生も、しみじみと言われていた。
「最愛の人間の死という悲しみに直面した時の決意は、最も強く、最も尊く、最も大きい力がある」と。
大聖人は、若くして父を亡くした南条時光に対し、「いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし」(同一五一二ページ)と仰せになられた。
どんなに苦しい難があっても、いよいよ強盛な信心に立って、広宣流布のため、人びとのため、社会のために戦い続ける。それが、亡き家族への最高の供養ともなる。
そこに、生死を超えて家族が一体となり、永遠に福徳に包まれ進みゆく常楽我浄の道が開かれる──。
これが、御本仏の絶対のお約束である。
●わが東北の草創の父母たちは、どんなに悪口罵詈されようと、「新世紀の歌」を歌い合いながら、戦う精神の究極である「師子王の心」を取り出して、激戦に立ち向かってきたのだ。師弟の「破邪顕正」の闘魂は、今、青年学会の後継の陣列に意気高く受け継がれている。私は嬉しい。
●一城築けば、次の一城へ──私は、まっしぐらに走った。守りに入れば停滞を生むだけだ。
我らの城は、何よりも「攻めの城」である。
「月月・日日につよ(強)り給へ」(同一一九0ページ)、「今一重強盛に御志あるべし」(同一二二0ページ)と仰せ通りに、いよいよ「決意ます」前進あるのみだ。
●東北の勝利こそ、日本の勇気の泉である!人類の希望の光である!
東北が晴れ晴れと栄えゆくことこそが、未来に「福光」の輝きを放ちゆく人間勝利の大道なのだ!
忍耐と 最後の勝利は 必ずや われの心に 東北健児に
──冬を迎えます。風邪などひかれませんよう、大切な大切な全同志の健康と無事故、そして御多幸を、妻と共にいやまして祈ってまいります。合掌 (聖教新聞 2011-11-11)