勇気という「エンジン」で前へ前へ!

2011年11月12日(土)更新:3
【未来部と共に学ぶ 名誉会長 希望の語らい 14】
心の中に、すばらしい考えや、計画、思いやりをもっていたとしても、それを「実行」する勇気がなければ、現実には、何も実を結ばない。結局、心に何もなかったことと同じになってしまう。
だから、「勇気」は人間にとっての「原動力」であり「エンジン」なのです。
勇気がある人は力強く、前へ前へ進んでいける。自分が描いていた「山」を登り、「谷」を下り、自分のめざす理想へ、希望へと向かっていける。まさに「勇気」の二字が「力」となっていく。勇気をもっていない人は、堕落、敗北、横道にそれてしまう。苦しいことから逃げて、楽をしようとする。
だから勇気のない人は、人のために尽くせない。自分を向上させられない。立派な仕事をなしとげられない。ちょうど、「壊れたエンジン」をもっているようなものです。

詩人であったドイツのシラーが、こう言った。
「一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり」と。
青春時代から、私が大事にしてきた言葉です。
反対に、付和雷同は「悪」です。みんながこうしようと言うから、何となく、ついていく。みんながこれでいいんだという堕落の方向に行ってしまう。これがこわい。これが日本人の最大の欠点の一つでもある。

題目は「勇気」の原動力です。勇気のエンジンに「火」をつけるのが題目です。その題目をあげるのも、また勇気なのです。
ともあれ、勇気は、人間が正しく生きぬき、正道を歩む「力」です。
たとえば、人類・国家のために、「どうすればいちばん平和になるか」を考え、行動する。そういう信念の勇気もある。
社会のため、多くの人の人生のために、「どうすれば皆が幸せになれるか」を考え、行動する。そういう人間愛の勇気もある。
また、いちばん身近な生活のなかで、「子どもたちのために」という母親とか学校の先生の思い。「友人のために」という友情。そういう地道な日常での勇気もある。
「大きな勇気」も、「小さな勇気」も、勇気には変わりがない。「人のため」という崇高な心に変わりはない。

信念のためには、いかなる迫害にも屈しない。それを「勇気」と言う。
正しい信仰をもち、その信念のために行動する人が勇者なのです。自身の胸中に、大宇宙の根本のリズムを保っている「勇者のなかの勇者」です。
その「一人」がいれば、「太陽」が登るのです。
自分の生活に。
自分の家庭に。
自分のクラスに。
自分の社会に、国に、世界に。
だから諸君は、自分のなすべき課題に向かって、「まず一歩を踏み出せ!」と私は言いたいのです。〈『青春対話2』から〉 (聖教新聞 2011-11-12)