自ら省ること能わざる(御書718ページ)!

2011年11月26日(土)更新:3
・斧節『なぜ名を正すのか?』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111126/
>>孔子の「名を正す」を冒頭で紹介しておきながら、結論部分で日蓮大聖人、池田名誉会長と敬称を付けるのは明らかに筋が通らない。せっかくの思想的格闘が台無しになっている。創価学会プロパガンダ本であることは明白だ。著者と出版社の見識を大いに疑う。著者を知っている方がいたら、東浩紀〈あずま・ひろき〉の動画を見るよう進言してもらいたい。(小野)
●善なる行為に悪の審きをつける者こそ馬鹿者であることを心に刻んで置くがいい (トルストイ 『一日一章 人生読本』原久一郎訳)
法華経の行者と直接、対決するのではない。常に裏で操ろうとする。それが僣聖増上慢の「くせ」です。仮面をかぶった生き方が身についてしまっている。本当は臆病なのです。そこで世間に向かって、また権力者や社会の有力者に対して、法華経の行者の誹謗・中傷を繰り返すのです。(『法華経智慧 第三巻』池田大作
●自分は手を汚さない。偽善者は、どこまでいっても偽善者ですね。(同)