和歌・わが友に贈る・寸鉄・今週のことば 他

2011年11月28日(月)更新:5
【列島の各地で創価青年大会 時代を動かせ!若き力で 池田名誉会長が全国の同志に和歌】
★天の時 遂(つい)に 来たらむ 我は立つ 絶対勝利の 決意も新たに
口笛も なんと朗らか 君の道 皆が見つめむ 無数の諸天も
●1979年(昭和54年)5月3日、障魔の嵐の中、池田名誉会長は創価大学から神奈川文化会館へ。師の「正義の旗」を受け継ぐ若人は、この日、創大で「師弟勝利」の誓いが光る躍動の舞を
●「青年大会で共に歌おう」と勇気の対話。「それなら学会員になって舞台に立ちたい」と、今月5日に入会した森さんは、最前列で力の限り合唱、ダンスを。
「充実感がハンパナイ!(半端ではない)これからも、めっちゃ活動したい」と喜びを語っていた。
●来賓からは「この情熱みなぎる青年たちがいれば、新潟の未来は大丈夫だと感動しました」との賛辞が寄せられた。 (聖教新聞 2011-11-28)

【わが友に贈る】
●スピードが勝負だ。
連絡・報告には 直ちに対応を!
迅速な行動こそ 信頼と勝利の力なり! (同)
●太陽の仏法は 192ヵ国・地域に拡大。
我らは勝った!
創価の師弟は 勇気で勝った! (同 2009-11-28)

寸鉄
SGI会長は人類のために生涯を捧げる比類無き指導者─識者(ブラジル)。偉大な平和哲学
●全国で「創価青年大会」。新たな地湧の勇者が陸続と。正義の大連帯を築け
●「魂の独立」きょうで20年 学会は192ヵ国に大発展!日顕の嫉妬の謀略は惨敗
●「青年たるもの気宇広大で、しかも細心たれ」恩師 職場で堂々の実証を示せ
折伏こそ「今生(こんじょう)人界の思出(おもいで)」だ。動こう!語ろう!無上の大福徳を積みゆけ (同 2011-11-28、以下同)

【今週のことば】
「百千万億倍・御用心あるべし」
絶対に無事故であれ!
健康第一の前進で 大勝利の総仕上げを!

【名字の言】
●「この漢詩に、責任の重大さを感じます。池田先生や周恩来総理が拓いた中日友好を敬称していかなければ、と強く感じました」

【記念座談会 =1991年11月28日= 「魂の独立」から20年】
●インドでは皆が池田先生の『法華経智慧』を熟読し、深く理解しています。世界の青年が日蓮大聖人の仏法を求めていることを実感します。
●*森中─私はアジア教学部長としてインドネシアでの講義も担当していますが、年々メンバーが社会で躍動しています。池田先生とワヒド元大統領の対談集を手に、皆が自信と確信をもって友好を拡大。池田先生の「自然との対話」写真展には、なんと42万人が来場しました。
*正木─世界最大のイスラム国で、これだけ友好が広がっていることは大変なことです。
●*森中─日顕宗の邪義の最たるものが「法主絶対論」です。法主は御本尊と「不二の尊体」であり、「本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体」とまで言い出した。
*原田─いったい御書のどこにそんなことが書かれているのか。「時の貫首(かんず)為(た)りと雖(いえど)も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618ページ)と仰せの通り、日興上人は、仏法に違背する法主は排除するよう遺誡されています。
*森中─宗門では約750年の間に、何度か「法主絶対論」が強調されました。その一つは、幼少の子どもを貫首にすえる「稚児(ちご)貫首」の時代です。仏法理解もままならない子どもだったため、“相承(そうじょう)を受けた”というだけで、大聖人の魂が宿るという絶対の存在にするしかなかったのです。
*橋元─前法主の急逝に乗じて相承を偽り、“盗座”した「ニセ法主」の日顕も同じです。問答無用で権威を振りかざし、一族を優遇した人事を次々と行うなど自分を“絶対化”させ、強権的な手法で宗内を支配してきました。
日顕宗の邪義は在家を脅して隷属させようというものだ。
●万人の成仏こそが仏の出世の本懐(ほんかい)です。牧口先生、戸田先生、池田先生の創価三代の死身弘法により仏法が世界に広まりました。
●池田先生は「仏といっても特別な存在ではない。戦い続ける心が『仏』、行動し続ける姿が『仏』である。魔と戦い切る人が『仏』なのである」と指導されました。信心には、立場や年齢、地域など関係ありません。友のため、法のため、広布のために行動する人が最も尊貴です。
●*正木─学会は御書根本に「行学の二道」(同1361ページ)に励んできたから、世界広布を進めてくることができました。日蓮大聖人の仰せ通りに実践してきたことが、学会の大発展と邪宗門の衰退を分けたのです。
*原田─池田先生へ感謝の思いは尽きません。2013年、そして2030年へ、池田門下の弟子が世界広布を発展させる時です。永遠に大聖人直結、御書根本に、わが地域で朗らかに仏法流布を進め、師弟不二の黄金の共戦譜を綴っていこう!

【「紅の歌」誕生から30年 人生の波浪を乗り越えた! スーパーの倒産から再起 年商3億、人材派遣会社を経営】
●79年4月、突然の池田会長辞任の報。
“なぜ、先生が辞めなければいけないんだ!”
怒りに身が震えた。
●師匠の厳然とした様子を聞き、歓喜とともに決然たる共戦の思いが胸にみなぎった。
●男子部メンバーと熱唱し、そのテープを名誉会長に届けた。“先生、必ず正義の学会を宣楊できる人材に成長します”との誓いを込めて。
●ついに坪単価で日本一の業績を示し、業界で注目されるスーパーとなった。
雑誌の取材を受けるなど「有頂天になっていたんですね」。学会活動はほとんど参加できず、一念にズレが生じていた、と笹岡さんは反省する。
●暗闇に覆われたまま向かった先は、あの時、同志を見送った港だった。
「先生!」。自分が情けなく、海原に向かって大声で泣いた。声が枯れるまで泣き叫んだ。その時、悲しさと悔しさに入り交じって浮かんだのが「紅の歌」の一節だった。
♪驕(おご)れる波浪よ なにかせむ……
“そうだ! 吹きすさぶ烈風がなんだ。おれは、師匠に誓ったじゃないか!”
笹岡さんは、再び信心の炎を燃え上がらせた。
連日、財務処理に追われた。仕入れ先と話し合いを重ねた。しかし、決して逃げずに、誠実に対応した。その姿が通じたのか、債権者たちが次々に債権を放棄したのだ。結果、全てを精算することができた。
●「どんなにつらいときも、人生の師匠が“希望の光”を送ってくれました。空を見上げれば、いつでも太陽がある。だから強くなれました」
●社長として貫く信念は「現場第一」。
●「“一人”を大切にする。そして人に尽くせば力が湧く。全て学会の中で学んだことです」
●常に“1ミリでも前に”と不屈の信念で前進を続ける。
●きょう28日は、邪宗門と決別した「魂の独立」から20周年。笹岡さんの胸には、“師弟の歌”が、高らかに響きわたる。
♪舞いに 舞い征け 世紀まで

【ひろば 絵画 国際美術展でグランプリ】
●「謙虚に学ぶ、カラフルな自分に成長したい!」