新・人間革命

2011年12月1日(木)更新:2
【新・人間革命 共戦 十六】
山口開拓指導に参加し、懸命に折伏に励みながら、相手を入会させることができずに悩んでいる同志のことを思うと、山本伸一は、胸が痛んでならなかった。彼は力説した。
「私たちは、必死になって仏法を語ったのに、相手が信心しないと、がっかりして、落ち込んでしまいがちです。しかし、『聞法下種』も『発心下種』も功徳は同じなんです。
大事なことは、正法を皆に語り抜いていくことなんです。
皆さんは、不軽菩薩のことを学んだでしょう。私たちの下種活動は、現代において、不軽菩薩の行を実践しているんです。すごいことではないですか!」
法華経の常不軽菩薩品には、次のように説かれている。
過去世の威音王仏(いおんのうぶつ)の滅後、像法に、不軽菩薩が出現する。
不軽は、会う人ごとに、二十四文字の法華経を説き、礼拝・讃嘆(さんたん)して歩いた。
「我れは深く汝等(なんだち)を敬い、敢て軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえん)は何(いか)ん、汝等は皆な菩薩の道(どう)を行じて、当(まさ)に作仏(さぶつ)することを得(う)べし」(法華経五五七ページ)
〈私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢(あなど)ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです〉
不軽菩薩は、一切衆生に仏性があると確信し、こう訴え、人びとにひざまずき、合掌していったのである。
しかし、彼の言葉を聞くと、むしろ、人びとは、怒り、憎悪の心を燃え上がらせた。不軽の言うことは虚言であるとして、悪口(あっこう)し、罵り、さらに、杖や棒で打ち、瓦のかけらや石を投げつけたのである。
それでも不軽菩薩は、「我れは深く汝等を敬い……」と言って、人びとを礼拝することをやめなかった。
この時、不軽を軽んじ、迫害を加えた者は千劫の間、無間地獄に堕ちる。しかし、最後は、正法を聞いた縁によって救われるのである。 (聖教新聞 2011-11-30)