三界は皆仏国なり(御書32ページ)

2011年12月6日(火)更新:2
・斧節『宮田論文に関する覚え書き 9』
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111205/
>>「理法よりは教法が勝れている」ことなどあり得ない。普通に考えれば誰にでもわかることだ。なぜ日蓮系教団ではこんなことばかり議論されているかといえば、それは日蓮法華経と涅槃経を「法」と位置づけたためである。(小野さん)
●*名誉会長─謗法の闇が深まる末法の時代に、一人決然と立ち向かわれ、無明を法性(ほっしょう)へと転じる大法の確立を宣言されたのです。
その原動力は、末法の一切衆生の苦悩に「同苦」し、「抜苦(ばっく)」し「与楽(よらく)」されていく大感情です。
「顕仏未来記」は、仏法西還の大法を顕し、弘められる大聖人という「人(にん)」に焦点が当てられています。
*斉藤─本抄末尾には「(※)三国四師」を明かされています。数多くの仏教者のなかで、御自身こそが仏教の正統を受け継ぐ正師(しょうし)であるとの御宣言です。
「安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号(なずく)く」(509ページ)
〈通解〉安房(現、千葉県南部)の国の日蓮は、おそらくは、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師の三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通する。ゆえに、三師に私、日蓮を加えて、「三国四師」と名づけるのである。
*名誉会長─御自身の生命に一切衆生成仏の大法を覚知され、五濁悪世の末法で幾多の大難に耐えて受持しぬかれたればこその御言葉です。
事実のうえで、万人が平等に無明を破って、法性を顕し、法性のままに力強く生きうる大道を確立されたればこそ、佐渡の孤島から全世界、全人類に向かって叫ばれたのです。
大聖人御自身が末法の闇を晴らす太陽となって、万年を照らさんとの大慈大悲の御言葉と拝したい。
このように「顕仏未来記」では、大聖人によって末法の全世界を救う「太陽の仏法」が確立されたことを強調されています。
これに対して「諫暁八幡抄」では、どちらかと言うと「法」の面を強調されていると言えます。すなわち、「謗法」の闇を救う力を持った大法は大聖人の「太陽の仏法」しかないことを強調されています。
(※)三国四師─インド・中国・日本の三国に出現して法華経を弘通した四人の師のこと。インドの釈尊・中国の天台大師・日本の伝教大師日蓮大聖人をいう。 (『御書の世界 第3巻』池田大作

>>プロテスタント創価学会が典型だ。その純粋性は言葉を絶対視するために、言葉の奴隷とならざるを得ない。であるからして教祖に額ずくことが美徳となる。(小野さん)
●「どんな人間だって、結局は御本尊様によって救われる時が来るんだ。叛こうが従おうが、どうしようもない。最後はみんな救われていくんだ。これが大聖人様の甚深無量の御慈悲だよ」─戸田先生

>>長くなってしまったので、もうやめる。進化宗教学的見地では社会システムの変遷に伴って新しい宗教が誕生していることがわかっている。だから三国四師をありがたがる前に、時代背景や社会構造を検証するべきだと思う。始めに経典ありきじゃバイブルと変わりがない。(小野さん)
●*名誉会長─この妙法のみが、末法の濁世(じょくせ)に生きる民衆を救うことができる。それは、妙法こそが万人に内在する普遍的な法だからです。そして、妙法の無限の力によってこそ、元品の無明から現れるあらゆる迷いと苦悩を打ち破り、克服していくことができる。末法の人間が真の幸福へと蘇生していく道は、妙法による以外にない。
*斉藤─その功徳を万人に開くために、大聖人は御本尊を顕されました。 (『御書の世界 第3巻』池田大作