「女子部 永遠の五指針」を実践し、「行学の二道」で勝利を!

2011年12月7日(水)更新:3
【2012年「青年学会 拡大の年」女子部活動大綱】
[女子部 永遠の五指針]
一、朗らかな幸福の太陽たれ
一、世界一の生命哲学を学ぶ
一、何があっても負けない青春
一、正義と友情の華の対話を
一、永遠に師弟勝利の門を開く

●2012年「青年学会 拡大の年」は、池田先生が、恩師・戸田先生の誓願「75万世帯の弘教」の達成へ、突破口を開かれた「2月闘争」より60周年。戦後、戸田先生の事業が行き詰まり、多くの人が去る中、池田先生はただお一人、戸田先生を守り、第2代会長就任の道を開かれました。
しかし、その後、遅々として折伏が進まず、「このままでは広宣流布はできない」「大作、立ち上がれ!」との恩師の叫びに、若き池田先生は「私がやります!」と全責任を担い立ち、すべて「戸田先生のために!」との一念で戦い、未曾有の折伏を達成。まさに師匠への「報恩」の心で、若き弟子が立ち上がり、勝利を開いたのが「2月闘争」です。
●池田先生は今、「私の後継者は、君たち一人ひとりだ。創価青年学会の永遠の発展は、一(いつ)に今の君たちの世代の奮闘にかかっている。今再び、民衆の壮大なる平和と正義の連帯の拡大を宜しく頼む。断じて頼む」と、私たち池田華陽会に広宣流布の未来の一切を託し、成長と勝利を見守ってくださっています。
師匠と共に、広宣流布の総仕上げの時に生まれ合わせた感謝と喜びを胸に、「私たち弟子は、師匠の仰せの通りに広宣流布を成し遂げます。どうかご安心ください」との誓いに生き抜き、池田華陽会の前進で、創価の師弟の永遠勝利の門を朗らかに堂々と開きゆこうではありませんか!

●たとえ無量の財宝を贈っても、その人を永遠に幸福にすることはできない。それができるのが折伏である。
●「教学は最高の勝利の武器である。とくに青年時代に、教学に取り組んでもらいたい。あらゆる工夫をして。これが学会の伝統だからだ」
●伸一の心には、瞬時も離れず戸田がいた。彼の日々は、瞬間、瞬間、師匠である戸田との対話であった。彼は確信していた。
“自分の一挙手一投足を、心の奥底を、常に先生はご覧になっておられる!”
そして、“いかなる瞬間をとっても、常に胸を張って、先生にご報告できる自分であらねばならない”と心に決めていた。(中略)
戸田を思うと、勇気が出た。力がわいた。自分らしく戦い抜いた日には、伸一の胸には、会心の笑みを浮かべる戸田がいた。(中略)
師弟とは、形式ではない。常に心に師があってこそ、本当の師弟である。

《名誉会長の指導から》
◆2月闘
●戸田先生の指導があって、今の私たちがあります。ご恩返しをするには、広宣流布の戦いしかない。
●──戸田先生は、戦前、ただ一人、牧口先生直結の「師弟の道」を歩まれた。いついかなる時も、「牧口先生!牧口先生!」と叫び続けていかれた。
戸田先生が広布の大師匠として立たれた今、いったい誰が「戸田先生!戸田先生!」と叫び抜いて、真実の「師弟不二の道」を示すのか。
●御聖訓には「よき師と・よき檀那(=弟子)と・よき法と此の三(みつ)寄り合いて祈(いのり)を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(御書五五0ページ)と説かれる。
師弟不二ならば、一切を勝利できる」──これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である。
「師と共に」戦うから、小さな自分の殻を破れる。
「師のために」戦うから、本当の底力が出せる。
師弟不二」なればこそ、いかなる苦難も恐れず、生命の最極の軌道を進める。

◆行学の二道
●唱題・折伏と教学は、信心の修行の両輪であり、根幹である。この御聖訓を軽んじ、地道な研鑽を避けてしまえば、損をするのは自分自身だ。
私の御書にも、わが人生の激闘が刻まれている。
「この御抄は、戸田先生と拝した」「この御文は、あの苦難の時に読んだ」──若き日から今日まで、広布の闘争は、常に御書と共にあった。
御書には、末法の御本仏である大聖人の師子吼が、烈々と轟いている。仏の慈悲の炎が赤々と燃え、智慧の大河が滔々(とうとう)と流れている。
この戦う生命を、わが生命に受け継ぐための教学だ。 (聖教新聞 2011-12-06)