仏は文字によって民衆を救われるのである(御書153ページ、通解)

2011年12月10日(土)更新:1
・斧節『聖教新聞社の対応の悪さについて』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111207/
・リンク先、斧節『聖教職員 その二』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20060330/
>>「三障四魔に、煩悩障と煩悩魔が出てきますが、この二つの違いがわかりません」。(小野さん)
・sakuohideメモ帳 『障と魔の違い』 http://d.hatena.ne.jp/sakuohide/20091214/

>>私はこれ以降、新聞啓蒙をしていない。こんな連中のつくる新聞に未来はない。(小野さん)
私は聖教新聞社の社員/学会の職員ではありませんが、嫌な思いをされたのなら、同志として私からも謝罪します。申し訳ありませんでした。

>>東京では40歳前後の販売店主が新築の一軒家を購入しているのもおかしな話だと思う。(小野さん)
下品な発想はやめていただけますか。

>>聖教新聞が広く読まれることで仏法が流布できるのであれば、新聞を無料にして全戸配布すればよい。(小野さん)
個人も収入がなければ生活できないのと同じように、聖教新聞社も購読料をいただかなければ成り立ちません。

・リンク先、斧節『組織は個人の良心を失わせる』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20100422/
●*原田─学会で掲げる目標は、仕事などのノルマとは異なります。広宣流布を進める崇高な指標であり、一人一人が幸福になっていくための仏道修行における一つの到達点です。
*橋元─与えられたからやるのではなく、主体的に、自分で決意して挑戦していくものですね。その目標に至るまでの人間革命と成長のドラマが最も尊いと思います。
*棚野─組織で目標を立てますが、あくまで大事なのは個人の目標です。自分自身の成長のため、一家の宿命転換のため、自他共の幸福のための学会活動ですから、一人一人が信心で捉え、勇んで行動していくことが大切です。
*吉井─池田先生は「目標を持たぬ人間は、そしてまた、目標を持たぬ団体は、最後は敗れる。目標があること自体が発展の道であり、勝利への道につながるからである」と指導されています。師匠のため、自身の境涯革命のためとの思いで、次の目標を明確にすること。それが勝利の第一歩となります。 (「世界広布の勝利の並木道」聖教新聞 2011-12-01)
●配達には、それ自体、折伏に通ずる功徳が現れる。永遠の生命から見れば、絶対に「勝利者」となる。究極的な幸福境涯となることは間違いない。「配達即折伏」「配達即広宣流布」「配達即友好活動」「配達即拡大」である。─師匠

>>紙上座談会によって聖教新聞赤旗と同じレベルに成り下がった。(小野さん)
●どうすれば幸福になれるか。誰も、何も答えていない。しかし、聖教新聞には幸福への道が書かれている。こんな新聞はほかにはありません─戸田先生
聖教新聞はただただ民衆の幸福のためにある世界中で読まれている新聞です!
紙上座談会も、小さな記事も、書かれていることは全て先生のお心なんです。ですから、先生にお会いしたことがあってもなくても、謙虚に身読すれば、どんな人でも平等に、新聞を通じて先生から薫陶を受けることができるんです。その通りに実践すれば必ず人間革命できるのです。聖教新聞は、それを教えてくれる「宝」の新聞です!
・香風『学会の機関紙誌読み驚きと興奮』 http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20111103/