毅然と生きよ! その強さが「人権」

2011年12月16日(金)更新:1
【未来部と共に学ぶ 名誉会長 希望の語らい 17】
[質問 どうして差別やいじめがあるのでしょうか。]
 外国人を「同じ人間」として見られない。それは心が貧しいからです。自分が「人間として」どう生きるかという哲学をもっていないからです。
 哲学を学ばず、目先しか見ていない。欲望のままに貪る「餓鬼」の心、強い者にはへつらい、弱い者はいじめる「畜生」の心──その悪根性でできあがった社会であるから、人を差別する心、人権を無視する社会ができてしまった。
 大事なのは「人間として」生きることです。
 それなのに、多くの日本人は、「人間として」生きる前に、「日本人として」発想してしまう。心の狭い島国根性です。少しでも「異質」だと思うと排除したり攻撃する。その閉鎖性が、国際的にも孤立を招いているのです。
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 病苦と経済苦に疲れきった人。人間関係に押しつぶされ、人生に絶望した人。家族がバラバラで、すさんだ心の荒野をさまよう人。
 光の当たらない、あらゆる苦悩をかかえた民衆に手を差し伸べ、ともに同苦し、ともに立ち上がってきたのが創価学会です。
 諸君のお父さん、お母さんは、そういう「人間のための闘争」に生きてきた。名誉もいらない、地位もいらない、ただ「人間として」人間愛に生きぬいた。
 泥沼のような醜い社会の中で、一筋に大いなる理想に生きぬいてこられた。最高に尊い方々なのです。
 その「心」を諸君は受け継いでほしいのです。その「人間愛」を世界に広げてほしいのです。
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 〈高校生からの「私は障害があります。そのため、道や学校で笑われてしまいます。どうしたらいいか、自分にはわかりません」との質問に対して〉
 結論から言えば、自分が強くなるしかない。それも人権闘争です。
 人に同情されるのは、決して人権ではない。
 「障害者も立派な人間だ」という誇りをもつことです。「自分としての使命があるのだ」との誇りをもつことだ。
 それをあざけり笑うのは、笑う人が悪人なのであり、人権無視の悪の罪業を積んでいるのです。
 それに負ければ、人権は崩れる。その強さが人権なのです。
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 毅然として生きることです。その「人格」が人権の根本です。人格は、お金とは違う次元の、いちばん重要な問題です。
 物質的な幸福を追うだけでは、本当の平和はない。二十一世紀は、どうしても「人権の世紀」にしなくてはならない。目先の利害にとらわれない社会にしなくてはならない。
 それには、まず自分が自分を大切にし、誇りをもって毅然と生きることです。その人が、他の人も大切にできるのです。
 大河も最初の一滴から始まり、大海へと注ぐ。「人権の世紀」への流れは今、始まったばかりです。 〈『青春対話1』から〉 (聖教新聞 2011-12-16)