仏法者としての勝利の旗を掲げ抜く

2011年12月16日(金)更新:6
【新・人間革命 共戦 二十九】
 草創の同志たちは、誓いを新たにしながら、山本伸一の言葉に耳を澄ましていた。
 「学会員は皆、長年、信心してきた先輩たちが、どんな生き方をするのか、じっと見ています。ゆえに、学会と仏法の、真実と正義を証明していくために、幹部だった人には、終生、同志の生き方の手本となっていく使命と責任があるんです。
 もちろん、年とともに、体力も衰えていくでしょう。足腰も弱くなり、歩くのも大変な方も増えていくでしょう。それは、自然の摂理です。恥じることではありませんし、無理をする必要もありません。ただ、どうなろうとも、自分なりに、同志を励まし、法を説き、広宣流布のために働いていくんです。
 また、体は動けなくなったとしても、皆に題目を送ることはできるではありませんか!
 先日、草創期から、頑張り抜いてきた高齢の同志が亡くなりました。最後は癌で療養していましたが、見舞いに訪れる学会員に、学会活動ができることの喜びを教え、命を振り絞るようにして、激励し続けたそうです。
 やがて、臨終が近づいた時、薄れゆく意識のなかで、盛んに口を動かしている。家族が耳を近づけてみると、『きみ、も、信心、しようじゃ、ないか』と言っている。夢のなかでも、誰かを折伏していたんです。
 それから、しばらくして、うっすらと目を開け、また、口を動かす。今度は、題目を唱えていたと言うんです。
 息絶える瞬間まで、法を説き、唱題し抜こうとする様子を聞き、私は感動しました。仏を見る思いがしました。まさに、広宣流布に生き抜いた、荘厳な、美しい夕日のような、人生の終幕といえるでしょう。
 そこに待っているのは、美しき旭日のごとき、金色に包まれた未来世の幕開けです。生命は永遠なんです」
 伸一は、敬愛する草創の同志たちに、真の信仰者として、この世の使命を果たし抜き、人生を全うしてほしかった。仏法者としての勝利の旗を、掲げ抜いてほしかった。 (聖教新聞 2011-12-16)