私らしく!!人を信じる喜びを知った

2011年12月17日(土)更新:3
●「まるで人を信じようとしない目つきだね」――ある日突然、男子部の先輩に、そう言われたことが今も忘れられません。20年以上も前の話で、私たち西地区の会場がまだなかった時代の話です。
 人間不信――そんな自覚はありませんでした。しかし、他人が褒められているのを見るのが何より不愉快で、人を尊敬したことも、励ましたこともなかったのは事実です。(中略)

〈感じた慈愛〉
 しかし、いつしか口数は少なくなり、成人を迎えるころには、すべて物事を斜めから見るようになっていました。障害を理由に何社も不合格になった末、今年で勤続30年になる印刷会社に就職。ここ習志野台の地に移り、男子部として活動するようになっても、そんな性格は変わりませんでした。
 「もっと男子部らしく、元気に振る舞ったらどうなの?」――心配してくれる婦人部に、「あなたに私の何が分かるというんですか!」と“逆ギレ”したり、偽法主日顕による宗門事件が起こると、すべてが面倒くさく思えてきて、“活動を辞めよう”とすら思っていました。
 そんな私が初めて“何かつかめた”と思えたのが、1991年(平成3年)に行われた「千葉文化友好祭」です。牙城会の大学校生として「万里の創価人材山脈」という演目に出演。初めて池田先生と出会いました。私たちの可能性をどこまでも信じてくださる慈愛を、強く、深く感じてなりませんでした。そして、私は、この時を境に“先生と同志を信じて、どこまでも前向きに進んでいこう”と素直に決意したのです。
 教学にも挑戦。佐渡御書の「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし」(956ページ)を座右の銘にしようと決め、牙城会で学んだ3指針――「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」――を、地道に実践してきたつもりです。
 私は座談会が大好きです。久しぶりに参加した人や新米者が、うれしそうに語る姿を見ると、こんな暗い世相の中で、人間同士、信頼し合える世界は学会しかない、と胸を張りたくなります。
 いまだに口下手は改まりませんが、昨年、ブロック長として、当時の田中誠地区部長(現・支部長)と共に家庭訪問に徹して私なりに語り、座談会参加61人という最高結集を皆で達成した時、“ああ、ありのままでいいんだ”と確信できました。
 この地にお世話になって30年――本当に数多くの同志に励まされ、勇気づけられ、この度、地区部長の大任をいただきました。
 今思うと、私の信心の歩みは、例えるなら“かめ”のように遅かったかもしれません。けれど、かつて池田先生が“うさぎとかめ”の寓話を通して、こう教えてくださったと聞いたことがあります。
 “うさぎが負けて、かめが勝ったのは、なぜか。それは、うさぎは、かめを見て走ったからだ。かめは自分のゴールのみを見つめ続けたから勝った”
 私に、うさぎのような華やかさは、ありません。けれども、わが地区の皆さんを信じ、一歩一歩、学会創立80周年を大勝利するというゴールに向かって進む覚悟だけは決まっています。
 隣の東地区の婦人部長に派遣となった妻共々、どうか皆さん、今後とも、よろしくお願いします。 (聖教新聞 2010-01-13)