どんな人にも必ず使命が!

2011年12月24日(土)更新:4
【未来部と共に学ぶ 名誉会長 希望の語らい 20】
[質問 生と死の意味を考えています。]
 どんな人にも必ず「使命」がある。使命があるから生まれてきたのです。
 だから、何があろうと、生きて生きて生きぬかなければならない。
 使命――何に「命」を「使」うか。
 なぜ自分は生まれてきたのか。それを探求するのが青春です。
 あきらめずに挑戦していけば、必ず、自分にしかできない自分の使命がわかってくる。
          ☆
 題目の音声(おんじょう)は、死後の生命にも厳然と届いていく。
 死後の生命をも救っていけるのです。
 戸田先生も若いころ、子どもさんを亡くしたのです。こう言われていた。
 「私は、年二十三で『ヤスヨ』という子どもを亡くしました。女の子であります。
 一晩、私は死んだ子を抱いておりました。そのころ、まだ御本尊を拝みませんから、もう悲しくて、抱いて寝ていました。
 そして別れて、私はいま、五十八歳です。彼女がおれば、当時三歳でありましたから、そうとう立派な婦人になっていることと思いますけれども、今世で会ったといえるか、いえないか……。それは信心の感得の問題です。私はその子に会っております。
 今生(こんじょう)で会うというのも、来世で会うというのも、それは信心の問題です」
 これは、子どもを早く亡くした人への励ましとして話されたのです。「今世で、あの子と、また親子の縁が結べますか」という質問に答えての言葉です。
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 戸田先生は、娘さんの後、奥さんも亡くされた。
 子どもや奥さんに先立たれて、苦しみ抜いたが、そうやって、ありとあらゆることで苦しんだからこそ、今、大勢の人を励ませるのだ、大衆のリーダーとして、人の心がわかる人間になれたのだと言っておられた。
 全部、意味があるのです。その時は悲しくて、苦しんで、やりきれなくても、負けないで生き抜いていけば、あとから「ああ、こういう意味があったんだ」とわかります。それが信心の力です。また、それが人生の真髄です。
 どんな苦しいことがあろうと、最後の最後まで生きぬき、戦いぬき、勝たねばならない。
 最後に勝てば、その人が「人生の勝者」です。途中で決まるのではない。最後に勝てば、それまでのすべてが「意味があった」と言える。
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 諸君は二十一世紀を、断じて「平和の世紀」とするために、「生命の尊厳」の哲学を学び、広げていってほしいのです。
 正しき生死観を学び、実践し、一日一日を「かけがえのない宝」として大切にして生きてほしい。
 そして、この一生で、何百年分もの価値を創り、永遠に輝きわたるような「不滅の人生」を築き上げてほしいのです。 〈『青春対話2』から〉 

《私の体験》
 足かけ10年、未来部担当者として、多くの未来部員に会いました。なかでも、忘れられないメンバーがいます。
 彼は重い病に侵され、つらい治療を続けていました。それでも笑顔で振る舞う彼の姿に、病床を訪ねる友達、医師や看護師までもが、逆に励まされていました。
 病が進行し、医療も打つ手がなくなった時、それでも彼は諦めなかった。生きて学校に戻るんだと、副作用の激痛に耐え、勉強に励みました。彼は10代で生涯を終えましたが、葬儀に訪れた数知れない参列者を見ていかに多くの人に希望を送ってきたのかを知りました。今も彼は、皆の心に生き続けています。
 「生きる」とは楽なことではありません。ですが、妙法を信じて、懸命にきょうを生き、挑戦を諦めなければ、必ず笑顔になれる日が来ます。尊き命に感謝し、使命の道を歩んでいきましょう! (聖教新聞 2011-12-24)