唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも戒めんのみ(御書p.33)

2011年12月27日(火)更新:2
・斧節『創価学会員は教団を語るのをやめて仏法を語れ』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111225/
・斧節『ブログ「香風」について』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111227/
今さら何を言ってるんですか?嘘をつくのをやめてください!あなたは、私が女子部だということをよくご存知じゃないですか。

>>私が書いた「内部論理」の意味がまったく伝わっていない。(小野さん)
その言葉の後に、あなたは『外へ打って出ることが一度としてなかった。』と放言したうえに『ほとんどの会員が情報弱者となり、「イワシの頭」型信仰に堕した。』と学会/学会員を蔑みました。
それに対し、私が座談会のあの記事を引用した理由は、この仏法が単なる机上の論理ではなく、実際に現実のなかでどのような意味をもっているのかを伝えたかったんです。

>>「創価学会員は教団を語るのをやめて仏法を語れ」と申し上げておく。組織における問題や矛盾を解決できる人でなければ、私が書いていることは理解できない。 (小野さん)
そう仰いますが、あなたはさんざん教団の悪口を言い(或いは誹謗記事のリンク等)、挙げ句の果てには反逆者(矢野ら)に迎合しているありさまじゃないですか。
仏法を語るにしても我見、己義を構えているじゃないですか。
日蓮大聖人は「今の世は僧侶も在家も、高い位の人も庶民も、皆、『人』を尊び、“だれが言ったか”を基準にして、『法』を用いない。みずからの迷った『心』を師匠として、『経文』に依(よ)らない」(御書1207ページ、通解)と嘆かれている。
「人」のみを基準にすれば、自然に独善となる。「法」を基準に、信行の行動をする人が、仏法の正しき指導者なのである。 (御指導、1990-02-21)