アンチ・ライター「4人組」について

2011年12月27日(火)更新:3
柳原滋雄コラム日記 2011/12/27(Tue) アンチ・ライター「4人組」について】(抜粋)
 判明している分だけでも1000万円単位の資金を使って敵対勢力などに違法電話盗聴を繰り返してきた疑惑を司法認定されたことのある日蓮正宗妙観講(本部・杉並区)――。そうした集団が関与してきた新聞に「慧妙」という月2回刊の機関紙がある。主に敵対勢力である創価学会顕正会の批判記事を掲載しているものだが、その紙面で4人のジャーナリストが創価学会の今後などを予測する座談会記事を掲載したのは今年の夏のことだった。4人とは、溝口敦、段勲、野田峯雄、乙骨某のことである。
 このうち、段勲と乙骨某は元創価学会員で、いうなれば“脱会者”。2人にとって対照的なのは、段は元教団会員であるという事実をひたすら隠そうとしてきた形跡が強いのに対し、乙骨は自身の「創価大学卒」という経歴を最大限に利用し、売り出してきた点にある。
 乙骨が発行人となって月1回出している小冊子「フォーラム21」は、教団を叩けるネタであれば基本的に何でも取り上げるという性質のものだが、乙骨が前面に出て、段はそれを下支えするという協調関係にある。年齢的にも段が乙骨の兄貴分だ。繰り返すが、2人は“脱会者”であり、教団に対してもともと中立公正な立場にあるわけではない。腹に一定の感情をもち、教団攻撃をつづけているジャーナリストと見られても仕方がない。
 一方、溝口敦は早くから教団批判を始めた人物として知られるが、もともと日本共産党系の出自と指摘されたこともあり、教団批判の内容は、かなり一面的だ。同人が初期のころに著した書物に『池田大作「権力者」の構造』というものがあるが、一読して、推測・憶測のたぐいで感情的に書き殴ったとしかみえない部分も多く、まともな人物評論のレベルに達していない。共産系統の思考にありがちな、一面を全面肯定し、一面を全面否定するといった、極端なスタンスが明白な代物である。
 かつて大宅壮一は、人物評論は6対4ではだめで、7対3くらいがちょうどいいといった趣旨のことを語っていた。人物評論において批判部分は3割くらいにとどめておくくらいがちょうどいいといった意味だが、溝口の上記書籍の文章は9割以上が批判である。その意味では、批判そのものを至上目的として“色眼鏡”で書かれた人物論といっても過言ではない。アンチライターとみなされる所以であろう。最後に、野田峯雄は完全な番外編だ。共産系でなく、社民系に置き換えただけの話であり、本質的なスタンスは溝口と変わることはない。
 日本の創価学会報道の「悲劇」は、こうした職業的アンチ・ライターの手によって、教団にまつわる評論の多くが手がけられてきた点にある。映し出す鏡(=書き手のスタンス)が曲がっていれば、対象物は歪曲して映し出される。