創価学会は宗教界の王者である!―戸田先生

2011年12月27日(火)更新:4
・斧節『創価学会幹部 「ポスト池田は現執行部による集団指導体制」』 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20111222/
その記事は大嘘と偏見です!
●被災地の同志の皆さんは、池田先生の度重なる励ましを胸に、前進しておられる。自分のことだけでも大変なのに、他者のために行動しておられる。これほど尊いことがあるでしょうか。 (「世界広布の勝利の並木道」 聖教新聞 2011-12-19)
●学会による救援・被災者支援活動について、宮城県村井嘉浩知事は、こう語っていました。
 「発生直後から創価学会の皆さんにはほんとうに献身的に活動していただきました」「創価学会は震災対応において、本来は行政がやるべきことまでやってくださっていると感じます」
 「全国の学会の皆さんが強い心の絆で結ばれているからこそ、今回も各地の学会組織が迷わず被災地の応援に奔走できたのでしょう。私は、その絆こそが素晴らしいと思います。行政もそこを見習わなければいけません」  (同)
●私もあの時、新潟から東北へ真っ先に救援物資を届けるお手伝いをしましたが、“何かできることはないか”とやむにやまれぬ思いで皆さんが迅速に行動しておられました。“大変な人を放っておけない”という心が学会精神であり、菩薩の振る舞いです。(同)
●池田先生は大震災直後のメッセージで、こう綴っておられます。
 「御書には、災害に遭っても『心を壊る能わず(=心は壊せない)』(65ページ)と厳然と示されています。『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります」と。(同)
●先生と世界の識者との対談集は現在、連載されているもの、準備が進められているものも含めると70点に上ります。
 対談相手は歴史学者、政治家、経済学者、芸術家など、壮大なスケールです。
 先生がさまざまな垣根を越えて、世界の識者と友情を育み、語り合われる姿はそのまま、仏法思想がいかに普遍性をもっているか、という証しですね。
 現代は哲学なき時代と言われて久しいが、先生は地球規模で確かな平和哲学、人間主義哲学を発信し続けておられます。そのことに世界の識者が共鳴しています。 (同)
●また、識者との対談だけでなく、随筆や小説、詩の執筆、教学著作などを通して、先生は常に、われわれを勇気づけ、鼓舞してくださいます。とりわけ本年の大震災にあっても、先生のメッセージや小説『新・人間革命』「福光」の章で、どれだけ多くの人が悲哀から立ち上がっておられるか。(同) 
●学会員だけではありません。学会の友人から池田先生のメッセージが載った聖教新聞を見せてもらい、その内容に感動して、聖教をずっと愛読してくださっている方もいます。(同)

>>北と一緒か。空中分解も避けられないことだろう。(小野さん)
空中分解などありえません!“ガセネタ屋”で悪名高い乙骨の文章を引用しているような記事ですよ。たぼらかされてはいけません。
●「本当は何が正しいのか」という探求ではなくて、単なるイメージに動かされる。現代のマスコミの多くも、哲学がないから、情報はただの商品となる。売れるためには、人々の興味を引けばなんでもよい、という姿勢です。(『法華経智慧 第三巻』池田大作
小学館が発行する「週刊ポスト」が新年号から、ノンフィクションライターの佐野眞一氏を起用して創価学会物の連載を始めた。同氏は同じ媒体でソフトバンク孫正義氏の人物ルポをてがけていたが、この「化城の人 池田大作創価学会の80年」の連載は、しょっぱなから全くいただけない。当代を代表するライターの筆なので最初は期待して読み始めたが、基本的な事実確認すらまったくといっていいほどなされておらず、これでは物書きとして世間に自ら「恥」をふりまくような代物と言われても仕方がないだろう。
 幾つか具体例をあげておくと、たとえば同氏は「創価学会がトップの病状をひた隠しに隠すのは、いまに始まったことではない」などと記し、第2代戸田会長が1957年11月に病床につき、その後翌年4月に亡くなるまで「ウソをつきつづけた」などと記述する。実際は戸田会長は翌年の元旦には200人の幹部会員に前に姿をあらわし、同年3月には6000人の青年部員とともに式典すら行っている。それでいて「ひた隠しに隠す」との記述はそぐわないだろう。(柳原滋雄コラム日記 2011/12/26(Mon) 準備不足もはなはだしい『週間ポスト』連載の「化城の人」、以下同)
●冒頭部分では一つの資料が提示される。日蓮正宗系機関紙「慧妙」に連載された4人のアンチジャーナリストによる座談会の内容だが、本連載のリード部分で、「ジャーナリズムの視点から批判的に」行われてきた創価学会物とは一線を画す旨の表明があるのに比して、羊頭狗肉そのものだ。4人のジャーナリストとは、溝口敦、段勲、野田峯雄、乙骨某だが、座談会は発言者の名前ら記されず、ABCDという匿名でなされたいい加減な形式の座談会である。その内容も、裏づけを伴わない自分勝手な憶測を並べただけのレベルの低い代物だ。そんな文書を佐野氏が引用すること自体、この連載の拠って立つ「地点」を不明確そのものにしている。
●文章には、書き手の発想・見識のレベルがそのまま反映されるものと感じざるをえない。
●日本の創価学会報道はやはりこの程度のレベルなのだと感じざるをえないような内容ではある。

・『「週刊文春」の呆れた謝罪』http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20120624/