讒言によって攻撃され迫害され冤罪を被るのは、大聖人の正統直結の証

2011年12月29日(木)更新:4
●戸田先生は、ダ・ビンチの生涯も、嫉妬による讒言に苦しめられたことを強調された。
 ――幸福のあるところには、必ず嫉妬が襲いかかる。嫉妬は、讒言をもって誹謗する。邪悪な噂は、剣よりも残酷に人を殺す。
 これが天才画家の透徹した眼(まなこ)に映ずる、人間社会の実相であった。
 しかし、ダ・ビンチは、その嫉妬の心の醜さを、笑い飛ばすように、痛烈な風刺の寓意画(ぐういが)にして、描き残している。
 彼は獅子であった。その心には、真理の太陽が、正義の炎が、赫々と燃え上がっていた。 (『随筆 春風の城』池田大作
●彼(※ダ・ビンチ)は、厳粛な因果律の上から、人を陥れようと穴を掘る悪党は、その報いで、自分自身が穴の中に墜ちてしまうことを、悠然と見通していた。
 ダ・ビンチは、非難に動揺する弟子に対して、
 「分からず屋どもの言うことで、心を曇らせるな!」
 「自分も他人も欺くような、誹謗の輩を沈黙せしめよ!」等と、厳しく叱咤したと言われる。
 戸田先生は、「古今東西を問わず、師弟の道とは、かくあるものだ」と語られた。眼鏡の奥の眼差しが、鋭く光っていた。
 先生との語らいは続いた。
 大聖人の流罪・死罪も、讒言によるものであった。
 御書には、「良観房が讒訴(ざんそ)に依(よ)りて釈迦如来の御使(おんつかい)・日蓮聖人を流罪し」(二六二ページ)、「讒言を企てて日蓮が頸(くび)をきらせまいらせん」(三五0ページ)等と、繰り返し仰せになっている。
 さらに、御本仏が「悪名一天に弥(はびこ)れり」(御書九三六ページ)という包囲にさらされたのも、「悪業の衆生に讒言せられ」(御書九三七ページ)たゆえであった。
 創価学会が、御聖訓の通り、讒言によって攻撃され、迫害され、冤罪を被(こうむ)ることは、まさしく、大聖人の正統直結の証なのである。 (同)