堕ちた元委員長 132 反逆議員の方程式

2011年12月30日(金)更新:3
柳原滋雄コラム日記 2011/12/30(Fri) 堕ちた元委員長 132 反逆議員の方程式】
 公明党が1964年11月に結党されてから分党される94年までに、党代表者は5人交代した。列記すると以下のようになる。
 初代  原島 宏治 (1カ月) 
 2代  辻   武寿 (2 年) 
 3代  竹入 義勝 (20年) 
 4代  矢野 絢也 (2年半) 
 5代  石田幸四郎 (5年半)
 このうちいまも生きているのは2代から4代までの3人。さらに勲章を受けたのは3代目と4代目。現在、公然と党や支援組織に弓を引いているのは、第4代委員長の矢野絢也ひとりである。
 もともと教団や党関係者においては、「退転者の方程式」というものがあるらしい。まず初めにその人間がなんらかの問題を起こす。そのほとんどは「金銭」や「女がらみ」のものだ。次にそうした問題を反省することなく、教団や党に≪責任転嫁≫する。これは退転者特有の第2ステップというべきもので、第1段階から第2段階にかけてが一つの「分かれ道」だ。さらに3番目のステップとして、マスコミなどを使って、自己正当化と責任転嫁の主張を繰り返すようになる。
 党や支援団体の顧問弁護士をつとめた山崎正友(故人)は、個人的な金儲けのために冷凍食品会社を設立。大規模な負債をかかえて倒産すると、ヤクザに追いかけられる身となった。資金難となった山崎は顧問先であった教団を恐喝し、懲役3年の実刑を受けて刑務所入り。出所後はますます教団への逆恨みを募らせ、多くの虚言を用いて、死ぬまで教団攻撃を繰り返した。
 一方、公明党の最高幹部の一人であった矢野絢也も、山崎と同じく個人的な金儲けに走り、議員在職中から多くの不明朗な「裏商売」に手を出し、最終的には明電工疑惑で党委員長職を追われる身となった。これは上記でいうところの≪第1段階≫である。
 ところが矢野はそうした自身の不始末と真正面から向き合うことができないまま、責任をすり替え、教団や党に対し自己正当化と責任転嫁の主張を繰り返してきた。
 矢野のほかにも、何人か不祥事を起こした国会議員はいたものの、いまは更生し、まっとうな人生を送っている人たちがいるのと比べると、矢野の悪あがきは「折り紙つき」ともいえよう。
 人間のすることだから、当然、過ちを犯すことはありえる。問題は、その次にどのような行動をとるかだ。そのバロメーターとなるものは、公明出身議員にとっては、自らの「信仰」であろう。仮に矢野が≪第一段階≫にとどまり、率直に過去の非を認めて生まれ変わっていたとしたら、その後の後輩議員にとっても有為な存在に変わっていたはずである。ところが逆に、矢野は「反面教師」としての姿を今も見せつづけている。
 党歴代委員長の中で「唯一」金銭スキャンダルで失脚した政治家「矢野絢也」は、公明出身議員において、二重に「生き恥」をさらして生きているようなものである。