法華経の目的は一切衆生を仏にすること

2011年12月31日(土)更新:1
【新・人間革命 共戦 四十】
 山本伸一は、亀山公園で車を降りた。
 彼は、園内を散策しながら、末法広宣流布のために、門下が死身弘法の信心を確立するよう念願された、日蓮大聖人の御胸中を思った。
 法華経の目的は、一切衆生を仏にすることにある。大聖人は、末法において、それを果たすために、建長五年(一二五三年)四月二十八日、南無妙法蓮華経という題目の大師子吼を放ち、宇宙の根源の法を示されたのである。以来、大難と戦いながら、この妙法をもって、衆生を教化されてきた。
 高僧や武士だけではなく、すべての民衆が、仏法の法理を確信し、死身弘法の信心に立たなければ、万人の成仏はない。
 弘安二年(一二七九年)九月二十一日、迫害の嵐が吹き荒れていた駿河国(現在の静岡県中央部)熱原で、農民信徒二十人が、稲盗人という無実の罪を着せられ、捕らえられるという事件が起こる。熱原の法難である。
 しかし、彼らは、微動だにせず、拷問にも屈することはなかった。強盛に信心の炎を燃え上がらせ、信徒の中心であった神四郎、弥五郎、弥六郎は、やがて、堂々たる殉教の生涯を閉じる。
 皆、僧ではなく、農民である。しかも、日蓮門下となって一年ほどにすぎない。その彼らが、一生成仏へと至る不惜身命の信心を確立したのだ。大聖人が題目を唱え始めて二十七年、一切衆生の成仏という誓願成就の証が打ち立てられたのである。大聖人は、「一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(御書二六五ページ)との御確信を、ますます強められたにちがいない。
 「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(同八五六ページ)である。
 伸一は、世界広布の新時代を思い描きながら、死身弘法の信念に立つ真の信仰者を、さらに、育て上げなければならないと思った。
 彼は、同行していた幹部に言った。
 「さあ、山口文化会館に戻ろう。少しでも多く、学会の宝である青年と会って、全力で励ましたいんだ。創価の心を伝えたいんだ」  (聖教新聞 2011-12-29)